第1話 隣は何をする人ぞ

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第1話 隣は何をする人ぞ

 どうして私がクビにされなきゃいけないの?  アルバイトからの帰り道、伊藤結衣(いとうゆい)は途方に暮れた。今年の春から通いはじめた大学。講義が終われば、そのままバイト先のカフェに向かうのが通常の流れだ。  けれど、そのルーティンが終わりを告げようとしている。  入学から二ヶ月、仕事を覚えはじめたばかりだが、これという大きなミスをやらかしたわけでもない。  辿り着いた自宅のドアの鍵を開けた。築四十五年の古いアパートを選んだ理由だって「家賃の安いから」の一言に尽きる。部屋に入ったとたん、手からカバンが落ちた。  タイムカードに退勤時間を打刻した直後に店長から呼び止められ、突然解雇を言い渡された。砂糖やミルクの追加を頼むみたいに「悪いんだけど、今週いっぱいでやめてもらいたいんだよ」と。  驚きのあまり理由を聞くことさえ思いつかなかった。それとも自分が忘れてしまっただけなのか。 「どうしよう……っ」  不甲斐ない自分に泣けてきた。  学費と家賃は実家の両親の仕送りでなんとかなるが、食費や諸々の経費はバイト代で補うことになっている。東京の大学に進学を許してくれた両親に、これ以上負担をかけるわけにはいかない。 「な、泣いてる場合じゃないよ」  涙を拭い、顔を洗おうと洗面所へ向かう。雑に顔を洗って深呼吸。 「新しいバイトを探せばいいだけじゃない!」  自分に言い聞かせて水を止めようとした。 「えっ、なんで?」  蛇口のハンドルを閉じたのに水が止まらない。開けたり閉じたりを繰り返しても状況は変わらない。思い切って手で水を止めてみたが、一番まずい選択だった。行き場を失った水は結衣目がけて溢れ出した。 「きゃあああっ」  ホースで水を浴びせられたように結衣はずぶ濡れになる。 「誰か、誰か助けてぇ~!」  だが、すぐに落胆した。悲鳴をあげたところで、アパートの住人の顔だってろくに知らない。誰も助けに来てくれるはずがなかった。  バン、バン、バン!  部屋のドアをたたく音に結衣は振り返る。 「どうした! 大丈夫か?」  一瞬聞き覚えのない男の声に躊躇(ちゅうちょ)した。だが、正直助けてくれるなら誰でもよかった。  水道を放置して玄関に走る。 「助けてください! 蛇口の水が止まらなくなって……えっ!」  扉を開けたとたん、結衣の救世主が部屋へ入り込んできた。
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