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2.心霊スポット
祐太が通う大学の文学部日本文学科は、一年のうちは大まかに分けられたゼミに所属する。卒業論文を書く際に所属する専門的なゼミは二年からだが、専攻を変えたい場合は三年で変更できることもある。
一年である祐太はその大雑把なゼミ一歩手前の講義を受けているのだが、選択したのが言語学だったために人数が少ない。大枠で分けられるため、ゼミごとの人数は多くなるはずなのだが、おおよその学生が無難と睨み近現代文学を選んでいた。
近現代文学に興味のない学生は古典文学、入学時点で方向性を決めている学生は古典芸能や言語学を選択する傾向にあるようだ。
文学や芸能は人の気持ちが強く関わってくる。それだけが原因ではないだろうが、オリエンテーションの説明で言語学の担当教員が最も清々しい空気を纏っていることに気付き、祐太は言語学の希望を出すことを決めた。担当教員は三嶋という、真面目なようでいて実のところゆるい准教授だった。
三嶋ゼミには祐太のほかに二十人ほどの学生が所属している。先日に交流を持つことになった涼太郎もこのゼミだ。不愛想な彼はほとんど一人でいたのだが、あれから祐太といることが多くなった。
「あれ、倉橋と高橋って仲良かったっけ? 橋コンビじゃん、通じ合っちゃった?」
「橋カンケーあんの? でも高橋って基本ひとりで声かけづらくてさあ」
「……帰り道に不良に絡まれてたとこ、高橋に助けてもらったんだよ。ガタイいいから、相手も何も言わずに逃げちゃって」
「確かに! この無表情を前にしたら何も言えねえよ~」
ゼミ終わり祐太に声をかけてきた二人は、簡単な課題のためにグループを組んで以来話すようになった二人だった。宮川と池田は冗談めかしながらも、祐太を通して涼太郎と話したいようだ。
「倉橋は小さいからな。また絡まれたら大変だろう」
真面目くさった表情で涼太郎が告げた言葉に、三人そろって無言になる。祐太は「小さい」という聞き捨てならない単語に言い返そうとして、宮川と池田の笑い声に先を越されてしまった。
「小さいってよ! まあな、高橋に比べたら、小さいわな」
「俺らもでかくねえけど、倉橋はもっと小さいよな。ちゃんと食ってるか?」
爆笑しながら宮川が祐太の頭をぽすぽすと叩き、池田はばしばしと華奢な背中を叩いている。小さいわけではない。小柄かもしれないが、平均身長ほどはあるのだから、やはり少し見上げるほど上背のある高橋が大きすぎるのだ。
「そうだ。倉橋はもっと、しっかり腹いっぱい食べるべきだ」
宮川と池田の言葉を受け、そうだそうだと頷く涼太郎の発言に、しばらく二人の爆笑の渦に包まれることとなった。
「ずっと笑ってるけど、何か用があって話しかけたんじゃないのかよ」
「あーそうそう。気温が上がりきる前にやりたいことがあってさあ、でも人が集まんないんだ」
「すまん、俺、次の講義あるわ。宮川、二人の連絡先聞いといて、俺もグループ入れといて」
「おっけー! はよ行け、遅刻すんなよ」
時計を見て慌てて走り去る池田を見送り、宮川と連絡先を交換する。手際よく宮川が作ったグループに祐太が涼太郎を、宮川が池田を招待してその場はお開きとなった。
帰宅して夕飯の用意をしていると、耳慣れない通知音が連続して響いた。スマホからだと気付いて画面を確認すると、今日作ってもらったグループにメッセージが入っている。立て続けに入ってくるメッセージに急用だろうかと開いて、確認した内容にぞっとした。
『次の土日にR山の廃墟まで行こうぜ』
『いちおう心霊スポットらしい』
『あんま登らなくていいって』
『調べたら山道入ってすぐくらいだったな』
『まあちょっと険しい道ではあるけど』
『俺らは土日ひましてること多いし倉橋たちにあわせる』
『高橋ってバイトしてんの?』
彼らのやりたいことを理解して頭を抱える。行きたくない、というより、行ってはいけないだろう。遊び半分の彼らの肝試しが、ともすれば取り返しのつかないことになりかねない。
もし涼太郎が首を縦に振ったとして、最悪の場合には彼らの前でセックスすることになるのだろうか。それは嫌だ。
ただ、恐らく涼太郎は断るだろう。しばらく様子を見て、流れで断ろうと考え眺めていると、信じられないメッセージが視界に飛び込んできた。
『俺は問題ない。倉橋が行くなら、俺も行く。』
祐太は自分の目を疑った。本当に高橋が打ち込んだものなのか、本人に確かめたいほどだった。打つのが早い宮川たちは、涼太郎からのメッセージに嬉々として返信している。
『まじ!やった!』
『倉橋どうなん?』
『既読ついてるし見てるだろー』
『高橋行くってよ』
『コンビとして同行すべきだよなあ!?』
次々と流れていく短いメッセージの数々に重い溜め息が零れる。
(俺が行けるわけないだろ……)
どう考えても無理だ。申し訳ないがやはり断ろうと打ち込んでいると、再度涼太郎からメッセージが送られてきた。
『先日、倉橋が不良に絡まれたのは夕方だった。行くとしたら日中にしたい。』
『まじかー』
『深夜のつもりだったわ笑』
『倉橋も、日中なら問題ないだろう』
もうやめてくれ、と呟いて、祐太は観念した。涼太郎はきっと、祐太が友人と休みの日に遊べるように気を遣っているのだろう。日中で、自分がいれば大丈夫だろうと、涼太郎からそう言われている気がした。
断るためのメッセージを消して、また返事を打ち込んでいく。その間にも、主に宮川と池田の他愛ない会話が続ていて少し焦った。
『いくよ。高橋と遊びたいの見え見えだぼ』
『え ぼって何w』
『その短さで誤字るなよ』
『うるさい ぞって打った』
『打ててねえよ笑』
『間違いは、誰にでもあるぞ。』
『そこは誤字れよー!』
盛り上がる会話の一方で、祐太はまだ不安を抱えたままだった。場所によってパワースポットに近い気配のある山に行くことは構わないのだが、廃墟となると話は違う。祐太の反応がないため誤字の話題は流れ、まさにその廃墟について宮川と池田が説明している。
さほど大きくはない廃墟は、かつてホテルだったらしい。周囲に立ち並ぶホテルと比べると小さく素朴だったが、外観も内装も西洋の城をイメージしたものだったそうだ。山頂から臨める夜景を目的とした宿泊客も多く、当時は相当賑わったらしい。
しかし、その賑わいも終わりを告げる。宿泊客の負担を考えたのか、土地の問題だったのか、はたまた別の要因だったのか、そのホテルは山の麓にほど近い場所に建っていた。
そのホテルの更に上、車でずっと登っていった山頂付近に、新しいホテルが建てられたのだ。大きく新しいホテルであることや山頂までのアクセスはもちろん、斜面を利用して建てられた部屋からの景観やレストランの料理の美味しさなども話題となり、すぐ人気となった。
そうして客足の途絶えた麓のホテルは、廃墟として今に残る。山頂付近のホテルも今はないそうだが、取り壊されたのちに新しいペンションが建っているらしい。
ますます行きたくない気持ちが強くなった。廃業に追い込まれたホテルの経営者や従業員、きっとそのホテルが好きだった客もいただろう。廃墟として残っている以上、彼らの負の感情はそこに吹き溜まっているはずだ。心霊スポットと噂されるのも、そういった負の感情により集まった「よくないもの」の影響ではないだろうか。
賑やかだったグループは、自然と静かになっていた。祐太もたまにメッセージを送っていたが、夕飯を作るからと途中からは眺めるだけだったのだ。涼太郎もさほど会話に入っていく方ではなく、二人もそれに気付いたのだろう。
夕飯も風呂も済ませた祐太は、ベッドに転がって涼太郎のことを考えていた。厳密には、彼の纏う空気について。
涼太郎が纏う空気の清らかさは人として不自然なほどだった。それほど彼の霊力が高いのだろう。
祐太は視えるだけで霊に対して何かをすることはできない。霊感はあるが霊能力はないと言えばいいだろうか。対して涼太郎は、その霊能力を持っていると考えている。
というのも、涼太郎を襲ってしまったあの日、彼は祐太を探していたそうなのだ。正確には祐太ではなく、祐太に憑いた悪霊の気配――涼太郎は瘴気と呼んでいた――を感じ取って向かったらしい。
何の対抗手段も持たない人間が、視えるからといって霊に立ち向かうとは思えなかった。祐太を助けたということは、涼太郎は涼太郎で除霊の手段を持っていたのではないだろうか。だからこそ、心霊スポットの件も参加すると言っていたに違いない。
それならば安心して彼らの肝試しに付き合おうと眠りについた祐太は、肝試し当日に期待を裏切られることになる。
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