おかえり、沖野

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「ただいま」と言ったのに、少女はいぶかし気な目をして、眉をひそめる。どうやら、僕のことがわかってないらしい。自分から名乗りを上げるのもしゃくなので、彼女が思い出すまで、待ってやろうと思った。やがて、少女は、「あっ」と声を上げる。 「柴田くん?」 「そう。俺、柴田時折」  沖野は僕を見上げて言った。 「柴田くん・・・身長が・・・」 「え?あ。これ?」  僕は自分の頭を撫でる。 「高校生で30センチぐらい伸びてさ。今は180近くなっちゃって。」  その昔、僕は150センチの沖野と変わらないくらいチビだった。僕はぐっと遠くなった沖野を見下ろす。 「ところで、沖野。いつ、宇宙から帰ってきたんだ?」 「先月。しばらくアメリカにいて、昨日、日本に着いたの。」  と沖野は言った。 「そっか。お疲れ様。  それで、えっと学校に何か用か?」 「卒業証書を取りに。」 「あぁ、そうか。」  沖野が僕の返事に頷いて、俯くと、桜の花びらが頭に乗っていることに気づいた。いつの間にか、彼女の旋毛が見れるようになったことが、なぜか感慨深かった。 「中、入るか?」 「でも、閉まってるよ。」 「大丈夫。俺、ここの教師だから。」  僕はそう言って、門を開けてやると、沖野は黙ってついてきた。  校長との約束の時間より、沖野はだいぶ早くに来たようだ。僕は職員室で、彼女と待つことにした。まだ肌寒い今日、職員室ではヒーターの音だけが鳴っている。  後からやってきた他の先生は、午前中の部活動のために、早々に職員室を後にした。どの先生も沖野を物珍しそうに眺めていたし、彼女の事情を知っている先生は、彼女に軽く会釈をしていた。そして、沖野は優雅に会釈し返していた。  僕は沖野にコーヒーを入れてやる。しかし、彼女は僕をチラチラ見ながら、何か言いたそうにした。 「どうした?」 「苦いのはちょっと・・・」 「あぁ、そうか。ごめんミルクと砂糖でいいか?」  職員室の冷蔵庫に運よく、牛乳があった。僕はコーヒーを減らして、牛乳をたっぷり注いでやる。  沖野はそれをフーフーしながら、口を付けた。 そうだ。彼女はまだ15歳だった。  最後に別れた時から、何の様子も彼女は変わっていないのに、僕はついつい一緒に年をとったような扱いにしてしまう。  沖野とは特に話したいこともなかった。  いや、本当はたくさんあったような気もするが、思い出せないのならたいしたことではないのだろう。まるで今日、見た夢のように。  他の同級生に会っても、僕はこんな感じになるのだろうか?と、僕はぼんやりそう思った。 「柴田くんは、いくつになったの?」  沖野が尋ねてきた。 「30歳になった。」 「そう。ここに帰ってきてから、今が何年か聞いたんだけど、いまいちピンと来なくて。」 「そうだよなぁ。ちなみにだけど、お前が宇宙に行ってから15年はたってるよ。  沖野は・・・15歳のまま?」  僕は尋ねた。 「17歳になったよ。」 「そうなのか?」  見た目が変わらなさすぎて気づかなかった。元々、年をとりにくい体質なのかもしれない。 「探査船に乗るのに訓練が1年あって、そこから半年ぐらい宇宙に行って、最近帰ってきた流れかな。  身長は全然伸びなかったの。」  彼女はそう言って、またコーヒーに息を吹きかけはじめた。 『ウラシマ効果』  だった、と思う。  ニュースでみた限りではあるが、僕も理解はしている。沖野たちを乗せた宇宙探査船は何万光年も先に行くために、何度もワープゾーンを通った。そのゾーンに入ると、宇宙船は光よりも早い速度で進み、沖野たちを目的地まで届けてくれる。かわりに、光速であればあるほどに、時間の影響を受けないので、乗組員たちの1分、1時間は、僕たち地球人とはかなり遅れてしまう。  そうして、僕と彼女の時間は少しずつずれ、やがて大きな差となった。 「15年もしたらもっと変わってるのかと思ってた。」 「街の風景とか? 人とか?」 「うん。すごいビル群になってたらどうしよう。ってちょっと思った。  あと、過疎化が進みすぎて、合併されてたりとか。」 「この田舎にそれはないだろう。あと合併はなんとか免れた。」 「そう。」  と沖野は言った。  今、彼女の視線は窓の外に向けられている。僕と年の近い男性顧問が号令をかける声がして、サッカー部が練習をはじめたのか、アップする若々しい声が聞こえる。  去年も、15年前も聞いたことのあるような気がする、懐かしい音。  僕は沖野の言葉に、ひそかにドキッとしていた。  僕たちのこの15年は変わっているようで変わってない。町も人も。  子供のころ、僕たちはもっと、自然に『大人』といものになるのだと思っていた。そして、どんな大人になるのかと想像を巡らせた。でも、結局は僕というベースに月日とか、老いとかが上塗りされただけで、特に変わっていない。  背が伸びて、髭がのびて、頭で考えるつまらない人間になっただけ。 「柴田くん、いつからここの先生なの?」 「去年から。美術の先生をしてるよ。」 「へぇー。そうなんだ。絵、うまいもんね。」  覚えていてくれたことに、僕はぐっと胸を掴まれた。そんなことはもう誰にも覚えられていないと思ったからだ。  けれど、心を込めて「ありがとう」と言おうとして立ち止まる。彼女の丸くて、真っ白な頬を見て、立ち止まる。  そうだ。こいつにとっては最近の話だ。  
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