おかえり、沖野

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 学校というものは特に変わらない。ちょっと壁の色が新しくなったり、廊下が色褪せたりはしているけれど、「学校」というシステムが大きく変わらないので、子供たちは変われども、そこにある匂いや雰囲気が大きく変化することはない。 「懐かしい」  沖野が言ったそれは、まさしく変わらなかった象徴。 「たった2年でそれ言うか?」 「先生になった時、柴田くんは懐かしくなかったの?」 「懐かしくなかったわけじゃないけど、やっぱり先生になってからだと、見え方が違うよ。」  机と椅子がうんと小さい。教室はこんなに狭かったのか思う。ちゃんと掃除をしているのかと、床に落ちている埃が気になる。  同じようで違うパラレルワールドに来てしまったかのようだ。 「そっか。でも、きっと私が普通に高校生になってもそう思うよ。ここから卒業したら、その瞬間から、私はここの雰囲気から全然おかしなものになっちゃう。」  一度抜けたら、交わることはない。溶け合うこともない。それが卒業ということだと、見送る側になって僕はようやく気付いたような気がする。  それでも、廊下の窓から降り注ぐ陽光は、変わらず美しい。まるで、今日、卒業する沖野を祝福しているようだった。 「僕の時は、雨だったなー。」 「ん?何か言った?」  僕は「ううん」と首を振って、沖野を体育館に促した。  今日、たった一人の卒業式がはじまる。  体育館では校長先生が待っていてくれた。別に、校長室で卒業証書を渡してもよかったのかもしれないが、校長の計らいで体育館ということになったのだ。  中に入ると、卒業式らしい飾り付けがされていた。紅白の幕に、紙の花。 「すごいな。」  僕はそう沖野に言ったが、彼女の心はここにないようだった。目がわずかに潤んでいる。 「いやはや。間に合わなかったな。」  年を重ねた男性の声が、上からした。  体育館の観覧席で、校長が紅白幕の端を手に提げていた。 「言って下さったら、手伝ったのに!」  僕は観覧席を見上げて、校長に訴える。 「いやいや、これは僕が君たちにしてあげたかったことだから。」  彼はそう言うと、最後の紐を掛け終えた。そして、階段から降りてきて、沖野を出迎える。 「お勤めご苦労様。沖野さん。」  沖野は走り出し、彼を抱きしめる。 「お久ぶりです。中村先生。」 「ははは。沖野さんはすっかり欧米文化に染まってしまったね。ははは、照れるね。」  中村校長先生はそう言って、沖野の肩に優しく手を乗せた。 「こうして三人で会うのは久しぶりだね。」  白髪が混じりだった髪はほとんど白髪になり、膨れた腹はますます大きくなり、手や顔には深い皺が刻まれている。それでも、こうしてわざわざ教え子のために尽くしてくれる姿が、僕はずっとずっと愛おしい。 「じゃ、卒業式をはじめようか。」  先生の言葉に、中学生の頃、三人でやったクリスマスパーティーを思い出した。先生がこっそりとケーキを用意して、僕が飾り付けをして、沖野がクスクス笑っていた特別な一日。  日々、忙しいと、いつか思い出さなくなるんじゃないかと思うほど、小さな喜びの記憶。だけど、僕の中ではいまでも大切にとってある。それは二人も同じなんじゃないかと、僕は思う。  うんと寒い体育館の埃が煌めきながら舞う中で、卒業式は行われた。なぜか僕の席は沖野と並んでいて、「え、教員のほうでしょ」とツッコんだり、途中で紅白幕が外れてしまって、三人で笑いながら、慌てて直しに行った。  壇上に呼ばれた沖野の背はしゃんとしていて、規則正しく動かされる手足に僕は相変わらず、見とれてしまった。 そして、桜の花びらが舞い散る今日、沖野 里は卒業した。
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