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学校で僕たちは別れた。
そのあと、僕はいつもならまっすぐ家に帰るのに、衝撃的なできごとの余韻を引きずり、薄く興奮しているからか、なんとなく帰ることができなかった。しかも、今日と明日は両親が旅行のために不在だし、食べるものも、やることもないので、意味もなく夕方の駅前をうろつく。
すると、ちょうど近くのパチンコ屋のドアが開いた。僕を誘うように、玉の流れる音と、台から発せられる音楽が耳に触れる。
普段は、同期の先生と行くことが多いのだけれど、自分がむしゃくしゃしていることに気づいた僕は、そこで憂さを晴らそうと、一歩足を踏み入れる。
その時、ふと外を見た。すると、沖野がいた。
彼女は駅前のベンチに腰掛けて、遠くを見ている。その姿はあまりにも静かで、夕陽を見守るための彫刻のようだった。
僕は慌てて足をひっこめた。そして、パチンコに行こうとしていたことがばれないように、遠回りしながら、彼女に近づく。
「沖野?」
名前を呼ぶと、彼女は驚いたのか勢いよく振り返った。
「さっきぶりだな。」
「そうね。」
彼女は僕に微笑みかけると、再び前を見つめる。
「親御さん、迎えに来るのか?」
「・・・・・」
返事はない。僕は沖野に許可をもらって、隣に腰掛ける。
目の前には、30年間変わってない公園があった。公園と言っても、青々としたツツジの植え込みが円形状に置かれ、中央には時計台。ところどころにベンチと、待ち合わせだけのような場所だ。
「誰も来ないわ。ただ座っているだけ。」
「え?」
「両親には迎えに来なくていい。って言ったの。」
「なんで?」
すると、沖野は僕の方を見ず、優しく笑った。彼女の目線の先には、小さな男の子と女の子が母親に手を引かれてこちらに向かって来ていた。買い物か、父親のお迎えだろう。
女の子のほうは、男の子よりも少し背が高く、自分も足元がおぼつかないにも関わらず、反対の手を繋いでいる弟を心配そうにチラチラと気にしている。母親はその優しさがわかっているのか、まっすぐに歩かない娘を注意することなく、むしろ歩く速度をうんと遅くして、二人の様子を見守っている。
「うちね。弟が生まれたの。」
「え、そうなんだ。おめでとう。」
「だけどね、私が宇宙に行っている間生まれたから。ほとんど私と同い年になったんだって。
なんか、そういうの嫌じゃない。今まで平和に生きてきたのに、突然知らない女子が、姉だって現れるの。だからさ、家に帰るの…ちょっとね。」
うっかりしていた。そうだ。生まれたのが最近なはずがない。沖野の両親のことは知らないが、僕が今年で三十なのだから、彼女の両親もそれ相応の年齢に決まっている。
「一度も会ったことないのか。」
「ないわ。」
それから、沖野はウラシマ効果の本当の恐ろしさを教えてくれた。
「探査船は、何度もワープゾーンを通るから、ほとんど地球と通信が使えないのよ。それに、たとえ光の速度で連絡を飛ばしても、あの広大な宇宙の中では届くのに時間がかかるの。
だから、家を出る時、弟はお腹の中にいたから生まれることは知ってたけど、生まれた写真がメールで届いたころには、計算上もう2歳になってた。それで、私が送ったお祝いのメールが届くころには、4歳になってた。」
人類の可能性を探すための、孤高の船。故郷に頼ることのない、還らない覚悟の船。
真っ暗な世界を漂う、孤独を思うと僕は腹の底がヒヤっとした。
「まぁ、それでも年の離れた兄弟だよな。珍しいよな、そんなの。」
「そうね。うち新しいお母さんだからでもあるんだけど。」
慌てて言った言葉もなんとも的外れで、僕は自分に落ち込んだ。けれど、沖野は話し終えると、どこかすっきりした顔をしていた。
「でもいいの。今更、お父さんとお母さんに会って話したいこともないし、せっかくの家族に割って入るのも気まずいし。」
「じゃ、今日はどうするんだ?」
「考えてない。野宿的な何かができればいいと思ってた。」
「はぁ?」
「フライトが明後日の18時半だから、ここを最低でも16時にでるとして・・・。
それまですごせる場所なら、この街にもどこかあるでしょ。」
沖野は楽観的な声でそう言った。
彼女はいつも賢明で、慎重な女子だが、たまにこちらが土胆を抜かれるほど大胆だ。
僕は思わず吠える。
「あのな!沖野!
お前が宇宙に行ってる間に、見た目はそんなに変わってないかもしんないけど、この街だって変わってんだよ。
なんか、誘拐事件がおきたり、変質者がでたり、なんかそれとか!
とにかく、もう絶対安全とは言い切れないんだ。その辺、ちゃんと考えとけよ!」
イライラと怒る僕に、沖野は面食らいながら、
「ごめん」
と言った。
「えーっと、とにかく、誰か。誰か、友達とか……そいつの家……。」
「連絡先、知らないもの。」
「あぁ、もう!」
そうだ。いくら宇宙に行った最年少の天才宇宙飛行士とは言え、こいつはまだ中学生だ。僕たちが何年もかけて培ってきた『常識』を身に着けているはずがない。
僕は考え、一つの答えに辿り着くしかなかった。
「わかった。俺んち来い。」
「いいの?」
いいわけない。だが、そうするしかない。なんで、今日に限って僕の親は不在なのか。
「いっ……大丈夫だ。」
僕は沖野と目を合わせずに言った。「ダイジョウブ」なわけがない。
けれど、沖野はあっさりと、
「じゃ、お願いしようかな。」
と、言って、僕に向かって笑ってくれた。それは僕がずっと昔から恋焦がれてきた笑顔だった。
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