おかえり、沖野

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 その切実な眼差しは、僕をなるようになれ。と押し進めた。 「沖野はもう少しクールなやつだと思ってたよ」  と、せめてもの嫌味だけを投げつけてやった。 「あら、大丈夫よ。それはあなたの思い出の中にいる私だもの。  私だって少なくとも2年は経っているんですから、色んな国の人に揉まれて、ちょっと図々しくなった気はするわ。」  そう言って、寝転がったまま僕に微笑みかけた。さらりと顔に髪がかかるのを、僕は見て見ぬふりをした。 「あ、望遠鏡だ。」  沖野の視線の先には、埃をかぶった望遠鏡がある。沖野は布団からはねおきると、窓の側にあるそれ飛びついた。 「これ、買ったの?」 「うん。まぁ、買った…っていうか、もらったって言うか…」  言葉を濁す僕をよそに、沖野は望遠鏡に夢中のようだ。  女の子がメイクやケーキに目を輝かせるように、白く丸く、硬い黒を纏った筒を熱心に見つめている。 「使ってもいい?」 「いいよ。」  僕は、僕の部屋の外にあるベランダへと案内した。  彼女は脚立を安定させると、尋常じゃない速度で、望遠鏡を操った。  星を探す位置を瞬時に見定め、角度を調節する。僕はこんなにも早くダイヤルを回す人を初めてみた。 「日本天体観測速度大会があったら、沖野は間違いなく優勝すると思う。」  と、僕がそう言うと、「何それ」と沖野は笑った。  そして、望遠鏡を覗いたあと、僕に差し出してくれる。 「できたよ。」 黒く丸い縁に片目を差し出すと、そこには木星がはっきりといた。赤い斑点までしっかりと見えている。 「すごいな!」 「春は木星が見やすいから、これくらい、誰でもできるよ。」 「なんだよ。出来なかった俺がバカみたいじゃん。」  拗ねた僕に沖野は苦笑する。 「それにしても、すごいな。あの木星の向こうに行ってたんだろ?」 「そう。約10万光年向こうがわ。人が行ける一番遠い場所。」  木星は望遠鏡を通せば近く感じるけれど、僕の人生で移動する距離を全て足しても、絶対に足りない距離。つまりは、僕の人生をかけてもけしてたどり着けはしない距離。  人類の英知の果て。 「すごいなー。」 「それしか言ってないね。」 「すみませんね。ボキャブラリーが少なくて。」 「いえいえ。でもさ、柴田くんがわかってくれてよかった。」 「何が?」  沖野は照れ臭そうに笑う。 「だって私が宇宙に行く前、記者会見をしたり、雑誌の取材受けるとね、みんな決まってどうしてディスカバリー号に乗るんですか?って、質問してくるんだけど、人類が行ける一番遠くが見たいんです。って、答えると、納得してない顔されるのよ。  そのうち、きれいな星を見つけるためです。って、勝手に雑誌に書かれてから、それを言うようになったわ。  ほんと、ロマンがない答えよね。」  人は何年たってもそういうものだ。大多数が納得できる答えを求める。  それが普通。  それが当たり前。  僕は学校の教師をしているから、個性と常識の間によく挟まれる。  学校に来るのが普通。  友達がいるのが当たり前。  男らしく、女らしく。  僕も性別や常識を盾にして、よく生徒を叱っている自覚はある。  常に「答え」のある生き方。  けれど、それが後に彼らのためになっているかなど、深く考えたことはなかった。  夢を持てと言いながら、彼らの中に生まれた小さなロマンを摘むような仕事。  学生時代など、自分の個性と向き合うには短すぎる。  僕は沖野の意見というか、気持ちに深く頷いた。沖野も僕の気持ちを汲み取ってくれたのか、満足気に頷くと、 「美術室みたいだね。ここ。」  と笑って、宇宙を見上げた。  月のない夜だった。  気温が低いせいもあって、星がよく見える。 その時、首に重みを感じた。突っ張るような違和感だ。  そうか、長いこと空を見上げてなかった。身長は伸び、空に近くなったのに、いつのまにか下を見てばかり。こんなにもスマホを触らない時間は久しぶりだった。  15才の僕が戻ってきた気がするそんな夜。 「あ!」 僕は唐突に思い出す。 「沖野、同窓会行くか?」 「同窓会?」 「うん。明日、並中のやつが集まって、ここらでやるんだ。 30歳になった祝いだからな。黒田が企画したんだぜ。」  僕は同窓会のハガキに書いてあった幹事の名前を告げる。それを聞いて、沖野は深く首を傾げる。 「黒田くん、そんなタイプの人だったっけ?」  僕も首を傾げる。 「いや、まぁ、俺も大人になってから会ってないから、わかんないけど。」 「なんか、意外ね。」 「だよなー。」  そして、僕たちは思い切って参加してみることにした。  
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