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沖野が風呂に入っている間に、僕は携帯を手にしてベランダへと出た。
思った以上に寒くて、吐く息が白い。
僕は手にした同窓会の案内状を見つめた。そして、ゆっくりと押し間違えないように記載された番号を押した。
耳に携帯を当てると、何度か呼びだし音が流れた。
――――出ませんように!
僕はなぜかそう願っていた。理由はわかっている。中学生の時にあった彼とのいざこざを、僕がまだ忘れられないからだ。
僕の脳裏では、色白でインテリ系、ガキ大将がにやりと笑っている。
『もしもし?』
低い声が耳をうつ。
「もしもし、黒田健斗さんですか?」
『そうですが。』
「あの、僕は柴田時折と言います。」
しばらく間があったが、すぐに彼は驚いた声を返してきた。
『おお!柴田! 久しぶり!』
さっきのいぶかしそうな低い声とは違って、明るく弾んだ低い声がする。
『まさか、柴田からかかってくるとは思わなかったぜ!
どうだ、元気にしてるのか?』
「う、うん。元気だよ」
『そっか、そっかー。それで、どうしたんだ。』
「え、あの、ほら、同窓会の案内くれただろ。それで、参加しようかなーって。」
『マジで!そっか、そっか。ありがとな。もう一人幹事の井上に伝えとくよ。』
「え、井上。って井上ありささん、幹事なの?」
『あぁ、むしろ言い出しっぺはあいつなんだ。案内状作ったのもあいつだし。
俺はただ、窓口になってるだけ。』
僕は瓶底眼鏡をかけて、沖野と同じくらい控えめで、何よりも人の前に立つのが苦手そうだった、井上ありさを思い出した。たしか、隅っこ女子同盟で沖野と仲がよかったはずだ。
「意外だ。」
『俺もそう思うよ。街でばったり会った時に、同窓会やりたいんだ。って言われてさ。
まぁ、三十路の節目にいいかなって俺も思ってはいるんだ。
ところで、お前は今、何してるんだ?』
「え?」
僕はベランダから見える、町の夜景を見下ろした。
「えーっと、ベランダで電話してる」
向こう側から、笑い声がした。
『違う、違う。何の仕事してんの?って、聞いてるんだよ。』
「あ。あぁ、そういうことか。俺はいま、中学の美術教師してるよ。
しかも、並中の。」
『マジかよ!俺たちの母校じゃん。いいとこ、就職したじゃねーか。』
そう言われて、僕は少し戸惑った。
僕たちはいつから生きる行動範囲が「仕事」に限定されてしまったのだろう。
15年ぶりに話すのに。こうしてまた普通に話せるようになるまで、様々なことがあったはずなのに、いきつく先は仕事。それはとてつもなく味気がない。
『学校、楽しいか?』
「どうだろな。同じ学校だけど、同じ場所と思えないくらい景色が違うよ。
机がめっちゃ小さい。」
黒田は、だろうな。と笑った。
それから、明日同窓会が行われる時間や、場所の詳細を聞いた。
「ありがとう。ごめんな、前日に。」
『全然おっけー! 猛の家の居酒屋が儲かって、いいことじゃないか。』
この頃になると、幼い頃から引きずってきた黒田の悪い印象は少し消えていた。どんな顔になっているのかはわからないし、彼が人として正しい生き方をしているのかはわからないが、それでも街でばったり会ったら気軽に話はできそうな気がした。
「あのさ。それと、沖野も連れて行っていいか?」
電話が切れたのかと思うほど、沈黙が続いた。
『うそだろ?
沖野ってあの沖野か?』
「ほんと。あの沖野です。」
今度は叫ぶような大声が僕の耳を打ち鳴らし、慌てて携帯を耳から話す。
『うそだろ!ほんとかよ!
沖野、帰ってきてるのか?』
「うん。だって、午前中。俺が彼女の卒業式に参列してあげたんだから。」
今、彼女が僕の家にいることは言わなかった。黒田は口笛を吹く。
『いやー。驚きだな。まさか、沖野が地元にいるなんて。
てっきり、あいつは違う世界の人間になっちまったと思ってた。』
確かに。
沖野達、子供が宇宙飛行士となるニュースはテレビで連日特集が組まれ放映された。
学校にカメラが入り、授業風景を撮影していたこともあった。あれからだったと思う。誰もが沖野を遠くに感じ始め、最終的にあいつの血はきっと緑だと噂まで流れた。
『やっぱり、沖野、かわってないか?』
そう聞かれて、肯定しようとした瞬間。
『やっぱいいや。楽しみにとっておくぜ。』
と黒田は言った。
『じゃ、明日な。お前と沖野が来たら、みんなびっくりするだろうな。
スペシャルゲストだ!』
黒田の声は、照りつける太陽の元でボールを追いかけていたころのように、弾み、待ち遠しさに一点の曇りもなかった。
僕はそれにつられて、少し上向きで「うん。」と言った。
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