第1章*雪の記憶 旅客者

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アタシが踊り終えた後の店内は雰囲気が一変して、がやがやと騒がしく喧騒にあふれる。 夜も深くなってきたので、子連れだったレイの一家は既に帰ったようだ。 今は大人たちが酒を酌み交わしている。 グラスを鳴らす音に、上品とは言い難い大きな笑い声があちらこちらのテーブルから聞こえてくる。 静かに佇んでいるのはアタシがさっきまで踊っていたステージと鳴らないギターだけだ。 その静かさに負けず劣らず、ゆったりと静かに1人飲んでいた男に声を掛けた。 ゆっくりとこちらに顔を向けるが、優しい顔立ちをしている。 外套を外した今は少し伸びた黒い髪が顕になっていて、その髪と同じ黒い瞳が印象深かった。 この辺りでは黒髪黒目というのは珍しい。 「いらっしゃい、お客さん。ここいらじゃ見かけない顔だね。旅の人かい?」 「あぁ、流れの旅人だよ。君は踊り子さんかな?良い踊りだったね」 ニコリと笑うと屈託のなさが顕著になるようで、下がった目尻の端に皺が寄るほどだ。 「ありがとう。アタシは踊りもするけど、この白薔薇の店主だよ」 「へぇ。いい店だね」 取ってつけたように褒められるが嫌な気がしない。 不思議な男だ。 アタシは片眉を上げて表情だけで応えると男は言葉を続けた。 「夕方に街に入ったけれど、良い街だね」 「街?」 「もちろん、君も」 街の善し悪しなどすぐに分かるものだろうか? この街からほとんど出たことのないアタシには分からず、疑問符を落とすと、気を悪くしたと思ったのか上手くもないお世辞を返された。 きっと根が素直なのだろう。 それを受け入れ、アタシも素直に疑問を呈すことにした。 「そうだろう。……それにしても、来たばかりで街の善し悪しが分かるもんかい?」 「あぁ。長く旅を続けていると分かるよ。夜半にも関わらず、店は繁盛。さっきは子どももいただろう?子どもが夜に出歩けるなんてそうあることじゃないさ。ここに居る人の顔も悪くない。そしてなにより、酒も料理もうまい」 ニッと笑って言うこの男の存在は、この街に新しい風を運んできたようにも思える。 アタシは嬉しくなってうんうんと頷く。
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