1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

 新年早々緊急事態に突入した。    昨年末からお付き合いを始めた龍一くんが本日午後三時、わたしの部屋を訪れるのだ。  これはマズい。乙女の貞操が? それもある。しかし、わたしはケガレという概念が好きだ。どう頑張っても人間として中途半端な感のある十七歳。のぼせあがった勢いにあやかって、気持ちに後ろめたい湿り気とかを得たい年頃なのである。よって一番の問題は貞操ではない。  では何がわたしをこうもハラハラさせるのか? それはわたしの部屋が壊滅的に荒れ果てているという事実だ。こんな汚い部屋で付き合い始めの男女が一緒になっていいのだろうか。    いや、ダメだ。ダメ過ぎる!  そもそもの発端は終業式後の帰り道、駅のホームでのことだった。龍一くんが大した脈略もなく「真紀の部屋ってどんな感じなん?」と質問したのに対してわたしが「ん? え? あんまり女の子っぽくない部屋だよ? よかったら年明けに来てみる? ちょうど両親が帰省してわたしお留守番だからさ」なんて流暢に返してしまったのである。  よくよく考えてみればそれも仕方のない事なのだ。わたしたちはクリスマスという「ちちくり行事」が過ぎ去ったのちに付き合い始めた。そのせいか、いつも無性にムラムラしていた。いや、ムラムラしていたと気づいていたのは多分わたしだけだっただろう。龍一くん含め世間の目には、わたしたち二人は初々しい思春期のカップルとして映っていただろうから。  だが所詮、その初々しさというのは社会が若者の性欲を安全に眺めるために作り上げたむっつりすけべな幻想である。例えば、手が触れ合っただけで頬を赤らめてドギマギするだとか、あるいは海岸線に向かって「大好きだ」と叫ぶだとか、あれらは全て爆発寸前の性欲なのである。それを大人が「若いのはいいねえ」とか「大切な想い」などと言って微笑みを浮かべるのも実は余すところなく爆発寸前の性欲なのである。したがって、街はいつだって火薬庫なのである。  ついカッとなって性欲を熱く語ってしまったが、要するに、わたしと龍一くんはクリスマスという社会総ニトログリセリン化の時期をみすみす逃し、内心未練タラタラだったというわけだ。ただ、わたしは自分が見舞われている事態を内省的に把握していて、龍一くんは訳もわからずドギマギしていたというだけのことである。    話を戻そう。    わたしのお誘いを受けた龍一くんは頬を赤く染めてわたしから目を逸らし「ほんとにいいの?」と言った。ボソリと。大きく言うと爆発してしまいそうだから。  わたしは仕方なく「……うん」と乳首を人差し指一本で隠してるみたいな恥じらいの声を出した。「ウイウイゴーグル」という初々しさを可視化するメガネが発明されていれば、あの時の二人はパステルカラーなピンクとオレンジの霧で狭い喫煙室みたいにもうもうとしていたに違いない。かくして龍一くんがわたしの部屋を訪問するに至った。    はあ、と一息つき改めて自分の部屋を眺めてみる。見渡す限り菓子のゴミ菓子のゴミ菓子のゴミ! 灰色のジャージ、パーカー、ジャージ! いつどんな理由で部屋に侵入したのかわからないダンボールとか! それと各所で起きた本の雪崩。しかもその中には可愛らしいファッション雑誌とかは一切なくて、カフカとかボルヘスとかポーとか安部公房とか、可愛いさの原子すら見当たらない本ばかりが堆積している。少し可愛げがあるとすれば筒井康隆の「時をかける少女」くらいだろうか。これならばアニメ映画が有名だし龍一くんでも知っているかもしれない。なにしろ「父さんがドラゴン好きで、あと俺長男だし」という名前の由来を持つ龍一くんだ。足がめっぽう速いナイスガイ・龍一くんだ。本が転がっている部屋に知性的魅力とかは感じ取ってくれないだろう。  いいんだ。それは全然悪いことじゃない。むしろわたしはそういう龍一くんが大好き。正直言ってこの気持ちは常に暴発気味。だから、龍一くんには決して嫌われたくない。部屋を見たらもっとわたしのことを好きになってほしい。こんなことならちゃんと年末に掃除しとけばよかった。なんて思ってみても無理! だって年末にちゃんと掃除できる人はそもそもこんな部屋の荒れ方しないからな!     嗚呼! 龍一くん! 嗚呼! 龍一くん!    龍一くんに対する初々しさが体内で爆発しまくったその時、脳天に響く野獣の叫びにわたしは驚愕した。    ブヒィィィィィ!  と、同時にわたしは嘔吐した。今年最初のゲロだ、と思ったのもつかの間、わたしの思考はその饒舌な口をピタッとつぐんだ。  わたしの吐いた先で白い子ブタが気持ちよさそうにくつろいでいたからである。  時計の針は午後一時二十分を指していた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!