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最後だったあの日、頬に触れられたり、頭を撫でられたり、唇を重ねたり、そういうことは一切無かった。彼の存在は三次元の映像みたいで、触れることも触れられることもなかった。
街角のクリスマスツリーが綺麗で、イルミネーションが輝いていても、そんなものはZoomのバーチャル背景と何も変わりなかった。
わたしは一ヶ月以上、誰にも触れられていない。
指先に触れる水が少しずつお湯に変わる。ヘアバンドで髪の毛をまとめてから、両手を温かなお湯で満たして、顔の上に広げる。何度も、何度も。
蛇口を止めて鏡を覗き込む。ひどい顔。びしょ濡れの顔。目尻から水滴が伝って落ちる。
『――ちがうよ。これは涙なんかじゃないんだよ』
心の中のヒロインが目尻を指の背で拭いながら言っている。あ、いや、嘘。そういうの無し。
――ジョークのつもりだったけれど、ちょっとマジで凹みそうなので、このお芝居の流れは無しにします。はい。
手探りで歯ブラシを手に取る。右手でチューブを取って歯磨き粉を出そうとした時に気づいた。左手にあるのが空色の歯ブラシだということに。
自分のピンク色の歯ブラシは、まだ陶器のスタンドに刺さっている。だから空色のこれは――あいつのだ。自分の歯ブラシに持ち替えるために、そのまま空色の歯ブラシをスタンドに戻そうとして、わたしは動きを止めた。
何だか無性にむしゃくしゃしてきた! 腹が立ってきた! ――あいつに。――そんでもって、そんなあいつに振られてウジウジしている自分自身にッ!
空色の歯ブラシを握りしめて、キッチンへと駆け出す。そして燃えるゴミの白いダストボックスの前に立つと、ペダルを思い切り踏んだ。「ベコンッ!」と音を立てながらフタが起立する。そしてそのゴミ箱の中に、わたしは――
「うりゃーーーーーーーーーーッッッッ!」
と空色の歯ブラシを叩きつけた。勢い余って上げたわたしの奇声とはまるで釣り合いが取れない小さな音で「ポスッ!」と歯ブラシは燃えるゴミの中に収まった。
二年間付き合ったあいつとの思い出の欠片は、新年早々、燃えるゴミの沼の中へと墜ちたのだ。
ティッシュペーパーやコンビニ弁当の容器やみかんの皮といった燃えるゴミの中で、歯ブラシが呆けたような白い頭を出している。何度も使われた毛先が少しちぢれて開いている。
思い出す。洗面所で並んで歯を磨いていたあいつを。わたしが料理をしているときに横から覗き込んできたあいつを。ベッドの上で背中から抱きしめてくれたあいつを。全部、全部、全部、この二年間のわたしの生活の一部だったんだ。
はっきりと結婚の約束をしてくれたことは無かったけれど、それでもあの生活はずっと続く二人の時間――そして家族の時間に繋がる日々だと思っていたんだよ。
ムシャクシャしてきた! 土曜出勤明けの日曜日で、気怠いのは気怠いのだけれど、本気でムシャクシャしてきた!!
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