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その頃、母は弟を出産して母の実家に里帰りしていました。
幼稚園があるからと、当時同居していた父方の祖母(母とは折り合いが悪かった)の家に父と共に残された私は、母が恋しくて、
「おばあちゃんいや、ママがいい、ママがいいの!幼稚園行かないママのとこ行くもん、ママ、ママ、ママがいいのー!」
そんなことを言っては毎朝のように駄々をこね、私には優しかった祖母を困らせていました。
そんなある日、普段は仕事でほとんど顔を合わす事のない父が、少し離れた場所の大きなお祭りに連れて行ってくれました。4、5軒の屋台しか出ない近所の神社とは違い、長い参道にはたくさんの屋台が隙間なくずらりと並んでいます。
水あめは透明だけじゃなくピンクや青もあるし、蛍光色にピカピカと輝くきれいな腕輪もあります。
ばーん!とびっくりするような大きな音を立てて米を爆ぜているポン菓子屋や、チョコや生クリームがのったクレープ、たくさんの景品が吊るされているサメ釣りなど、とにかくそれまで見た事もないような、ありとあらゆる種類の屋台が出ているのです。
興奮して落ち着きなく、ちょこちょこと立ち止まっては立っている人の隙間からじっと屋台を見つめている私を、父は黙って見ていました。
私もめったに会わない父への接し方がわからず、照れ臭いような、ちょっと怖いような気持ちで、特に話しかけもしませんでした。すると、
「何が欲しいか言いなさい」
唐突に父が言いました。私は少しどぎまぎして父を見ました。これが母や祖母だったら、
「買ってくれるの?やったー!」
と、即座にあれこれとリクエストしたでしょう。しかし父に対しては変な遠慮があり、私は周りを見渡し少し考えてから、
「かき氷」
と答えました。なぜなら、一杯百円のそれが、一番安そうだったから。
「赤ちゃんの物買わなきゃいけないから、もう何でも買って買って言わないんだよ」
と母が言っていた事を、父の顔を見て急に思い出したのです。
「かき氷か。あとはいいのか?」
私は心の中で、光る腕輪、サメつり、クレープ、水あめ、と並べていきました。しかし実際には、
「うん」
と言ったのみでした。父は黙って私を見ると、
「じゃあこれで買っておいで」
と、私の手に百円を握らせてくれました。
(かき氷なんていつもの神社でも買えたのに)
私は何だかつまらない気持ちになりながら、真っ赤なシロップのかかった氷を口に入れました。
「いちご味が好きか」
「うん」
「お前が好きな物、お父さん全然知らないな」
なぜだかどきっとして父を見ると、屋台の明かりが逆光となり、横顔が暗く悲しげに見えました。何か言わなきゃと焦った私は、
「好きな物はね、あとね、光る腕輪とかピンクの水あめとか、チョコのクレープとか、サメつり」
頭に浮かんだ物をどんどん並べ立てました。父は少し微笑んで、
「なんだ、たくさんあるじゃないか。今日は特別だぞ」
そう言うと私の手を引いて屋台をめぐり、欲しい物を次々と買ってくれました。私はもう嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
お腹もふくれ疲れてすっかり眠くなった私は、いつも祖母にするように、父に八つ当たりを始めました。
「ママ何でいないの。ママがいい。ママに会いたいようママ―ママ―!!」
すると父は、驚いたことに私をぎゅっと抱きしめました。そんな事はついぞない事でした。
「ごめんな、でも来月には赤ちゃんといっしょに帰ってくるから、それまで我慢してな」
父の腕の中は真っ暗で、でもなぜだかほっとして私は泣き出してしまいました。父は大きな優しい手で、私の頭をずっと撫でてくれました。
安心してそのまま寝てしまった私は、父に抱っこされながら家に帰りました。
成長した私は結婚して母となり、仕事に育児にとそれなりに忙しい毎日を送るようになりました。子どもたちは小言の多いおばあちゃんよりも、ひたすら優しいおじいちゃんと遊ぶのが大好きで、父もまた孫たちを、それはそれは可愛がってくれました。
67歳で父が他界して、もう3年になります。
それでも祭りの明かりを見るたびに、若き父のあの大きくて優しい手を、私は今でも懐かしく思い出すのです。
了
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