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もう一度キッチン。
やり残したことがあるわけじゃない。ようやく目を覚ました彼女がホットワインを作っているのだ。
「終わったよ」
「あとがと」
いつもはきりきり喋るのに、今はちょっと舌たるい。かわいい。レモンと生姜とシナモンの香りだけで冷えた体が温まりそうだ。
「火、気をつけて」
「ん」
ぐるぐると小鍋をかき混ぜながらこっくりする。かわいい。抱き締めようと思ったけど、洗濯が終わるおとではっとした。そうだ。シーツ。名残惜しいけど、しかたなく洗濯物を取ってベランダへ。
ベランダ。
あー、寒い。空いたスペースへ洗濯物を干していく。でもこれが終わればホットワインとかわいい彼女が待っている。じゃなきゃ、誰がこんなことするもんか。
本当は掃除も洗濯も大嫌い。彼女が僕の部屋を見たらびっくりするんじゃないかな。結構汚い。だって面倒くさいんだ。掃除も洗濯もさ。何回やっても少しも好きにならない。でも、僕の家の掃除と違ってここを掃除すれば、春は桜のミルクティーが、夏はアイスミントティーが、秋は生姜の入ったホットココアが、そして冬にはホットワインが、何より力が抜けて甘々の可愛い彼女が待っている。素敵なご褒美もないのに掃除洗濯なんて誰がやる?
僕は干し終えて浮き浮きとリビングへ向かった。
リビング。
ホットワインの香りが漂う。彼女がちょうどローテーブルにホットワインが入ったマグカップをふたつ置いたところだった。
「寒かったでしょ。ありがとね」
「ううん。いただきます」
僕はマグカップを手にするとソファに座った。彼女もマグカップ片手に隣に座る。僕は床に落ちた掛け布団をふたりの膝にかけた。暖かい。ホットワインも彼女も。
「おいしいね」
「うん」
彼女の口調はさっきより舌足らずだ。ぽつぽつあれこれ喋りながらホットワインを飲む。僕の大事な大事なご褒美の時間。ホットワインが体に回り始めたなと思ったころ、彼女の返事が少しずつ遅くなる。隣を見ると彼女はうとうと、こっくりこっくり。僕は彼女の手からカップを取り上げると僕のカップとローテーブルに置いた。ホットワインが回って僕も眠い。僕はソファーに寄りかかって目を閉じた。右肩が重くなった。彼女の髪がくすぐったかったけど払う余裕はもうない。目が覚めたらいつもの余裕綽々、威風堂々、SNS始めたら炎上必須の彼女が待っている。楽しみだ。力が抜けて甘々の彼女は時々現れるから魅力的なだけで、僕はやっぱりいつもの彼女が好きなんだ。
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