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「中三の夏休みなんて、あっという間だったな」
「ホントにね。俺、夏期講習の記憶しかねぇよ」
バスに乗り込み吊り革に掴まると、陸は大きな欠伸をした。背の高い哲治が上から陸の寝癖を見つけてクスクス笑う。哲治がその寝癖を梳いて横に流してやると、元々猫っ毛のせいもあり、上手く馴染んで目立たなくなった。
「お前の髪は柔らかくて良いなぁ。羨ましい」
そう言って哲治は、自分の硬質そうな前髪を一摘まみする。
「そう? 俺は哲治の黒い髪、カッコ良くて憧れるけど」
「そっか。陸がそう言うならまあいいか」
嬉しそうに頬を掻く哲治を、陸は少し不思議そうに見た。
「俺だけじゃなくて皆も憧れてるよ。よく言われるだろ? 哲治は背も高いしバスケも上手いしカッコイイって。実際モテるし」
「それはどーでもいいんだけどさぁ」
吊り革ではなく、一番高い位置にあるポールに摑まっている哲治を陸が見上げる。モテることを「どーでもいい」と言えるところが凄いと素直に感心した。
学校に着くまでに一人、二人と登校する同級生が増え、いつの間にか賑やかな集団が出来上がっていた。みんなテンションが高いのは、久しぶりに会えたからかもしれない。夏休み明けでもこんがりと日焼けしている者はおらず、改めて受験生なのだなぁと陸は実感した。
「今日、転校生が来るらしいよ」
「マジで? 中三の二学期からとか中途半端じゃね? 私立中辞めたヤツかな」
「違う違う。旅役者の子だってさ。うちの婆ちゃんが引っ越し中の劇団員と立ち話しして、そん時に聞いたんだって」
「へー、なるほど。じゃあまた直ぐにどっか行っちゃうのか」
浅草には昔ながらの大衆演劇場があった。そこで公演する劇団は、一ヵ月ごとに入れ替わる。その一ヵ月の間、義務教育中の一座の子供は学区の公立校に通うのだ。そして公演期間が終われば、また次の劇場へ移動していく。大所帯の劇団が公演する時などは、一度に十人もの転校生が来ることもあった。
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