2日目:荒木、柊(熱海観光)

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2日目:荒木、柊(熱海観光)

 『義成さま、あなたは本当に、行かれてしまうのですね。』  澄み切った様な綺麗な声が、頭の中にこだまする。  『本当は私も、あなたと一緒に...』  目の前にいるただ一人の人に、そう言葉を紡ごうと口を開いて、しかしながら声は出なくて、代わりに何かの、大きな音が、その場を包む。  『義成さま...私は...私は...』  何かの声が、誰かの声が、こだまして、反響して、響いて、そして...  枕元にある携帯を見ると、時刻は午前9:00頃で、天候は昨日に引き続き快晴の様だった。  そして遠くの方で、何かの音が聞こえていた気がした。  部屋の窓から見える太陽は、まだ時刻は朝だというのに昼間と変わらない様な鋭い光を放っていて、そんな朝の光と何かの音で、とにかく僕は今日、熱海旅行の2日目の朝を、迎えたのだ。  「あら、荒木君。起きたのね、おはよう。」  「...あぁ、柊か...おはよう」  寝ぼけ眼のまま、布団から上半身だけを起こして、僕は洗面台からひょっこりと顔を出している柊に言う。  そして辺りを見ると、僕と柊の二人が部屋に居ないことに気が付いたので、それを柊に尋ねた。    「...あれ、琴音と相模さんは?」  「あぁ、あの二人ならカウンセリングのために、異人組合の静岡支部に行くって、30分くらい前に出ていったわよ。」  「えっ、もう?いくらなんでも早すぎないか?」  昨日、熱海に着いてすぐ、相模さん達が柊をそのカウンセリングに連れて行った時間は、昼過ぎ位の時間だったはずだ。  だから今日も、てっきりその位の時間だろうと思っていたのだが...  「そうね、たしかに私もそう思って、あの人にそう言ったんだけど...相模さん曰く、あの子のカウンセリングは、私みたいに簡単には、進まないらしいの。だから朝早くから始めても、殆ど一日を費やしてしまうらしいわ。」  「...そう...なんだ。」  その柊の言葉で、僕は琴音が、元は完全な異人体質者であったことを、思い出した。  そしてそれと同時に、彼女のようなそういう者と、目の前に居る柊と、そしてもちろん僕とでは、ある意味で全く異なったそれなのだと、なんとなく、理解した。  「まぁ、あの二人かなり早朝から起きていたらしいから、私が起きた頃にはもう、朝食も朝風呂も済ましていたわ。」  「そうなんだ...ってあれ、柊はまだ朝食を食べていないのか?」  「えぇ、私は今、朝風呂から帰ってきて、ドライヤーで髪を乾かしていたところだったから。」  あぁ、あの音はドライヤーの音だったんだ。  「そうか、それならとりあえず、朝食でも食べに行こうぜ。」  そう言いながら僕は身体を布団から完全に起こし、寝相で乱れた浴衣を直して、テーブルの上にある朝食券を手に取った。  (たしか朝食は、旅館の1階にある食堂で食べるはずだ。]  そう思い出しながらその券を見てみると、そこには「朝食:7:00~9:00(一階食堂)」と、書かれていたのだ。  旅館から出て少し歩くと、潮風が香る、海が見えるベンチがあったので、そこで旅館の朝食を食べ損ねた僕と柊は、コンビニで適当に買ってきたモノを、朝食として済ましていたところである。  「まさか普通に寝坊していたとはなぁ...」  そう言いながら、僕はコンビニで買った、熱海名物海鮮シリーズ(いくら)と書かれたおにぎりを食べていた。  「そうね、でもまぁ、こうやって海を眺めながら食べることも、あっちに戻ったらそう出来ることでもないから、いいんじゃないかしら。」  そう言いながら、隣に座る彼女は、小さな口でサンドイッチを食べていた。  そしてそんな彼女に、僕は視線を向けて、思ってしまう。  彼女のその、あまりにも女の子らしい仕草を隣で見ていると、あの彼女との出来事が、あの壮絶な、咽かえる程の血の匂いに満ちた壮絶な日々が、もうまるで、遠い昔の出来事の様に、思ってしまう。  ただ彼女に殺されるしかできなかった、そうすること以外は何も出来なかった、そんな馬鹿げた、嘘のような本当の出来事。  まだひと月程しか経っていない様な(いや、ひと月経ったかも怪しい)最近のそれを、僕は今の彼女を見ていると、どうしても忘れてしまいそうになって、恐く思ってしまうのだ。  そんな風に思いながら、今僕は彼女の隣で、海を見ながら、口に入れて咀嚼したおにぎりを、飲み込んだ。    朝食を食べ終えて、まだどこかに行こうという気にもなれないので、僕と柊は、ただボーっと海を眺めていた。  そして海を眺めながら、今朝自分が見た夢を思い出す。  なんかとても、不思議な夢であったことだけを、僕は思い出す。  そんな事を考えながら海を見ていると、僕はあるモノに目を止める。   「...あれ?」  「...ん?どうしたの、荒木君」  僕のその疑問符が付いた呟きに、隣で座りながら携帯を弄る柊が、伺いを立てて、顔を上げる。  そしてその伺いが、別に聞こえていなかったわけではなかったが、僕はその時、その目に止まっていたモノに目を奪われていて、彼女には何も言わず、ベンチから立ち上がった。  そう、その時僕は、昨日と同じように波打ち際で、彼女を、 若桐 薫 を、見つけたのだ。  そして僕は、その子の許に、「ちょっと待ってて」とだけ柊に言い残して、その子の許に、走り出したのだ。  「荒木君って、実はロリコンなの?」  「...違います。」  昨日琴音とやったやり取りを、まるでそのまま引用したかのように、柊は僕に言い放つ。  どうしても僕をロリコンにしたいのだろうかこいつ等は...  そしてそんな僕達のやり取りを見ながら、さっきまでは柊と2人で居たベンチに座りながら、若桐は小さく笑って、僕に追い打ちを掛ける。  「フフっ...今日は転びませんでしたね、荒木さん。」  若桐のその言葉で、僕は昨日盛大にスッ転んだ事を思い出して、恥ずかしい気持ちになりながら、深々と礼を示す。  「その節は大変お世話になりました。」  「いえいえ、そんなに大したことはしていませんよ。」  そう言いながら笑顔を向ける彼女は、やはりどこか、浮世離れした綺麗さがある様な気がして、油断をしたら見惚れてしまう。  そしてそんな僕に、会話の内容をいまいち理解できていない柊が、頬を膨らませながら僕に尋ねてくる。  「なに?荒木君、一体何の話をしているの?」  「なんでもないよ、昨日ちょっと、彼女に世話になっただけさ。」  「ふーん...」  「なんだよ...?」  「いえ別に、まさか荒木君が十数歳の女の子に御世話されて、それを思い出しながら鼻の下を伸ばして、満足そうな顔をしているから、『あーきっと、汚物って人に例えるならこういう顔をしているのね』って納得していただけよ。」  「おまえ...その言葉僕じゃなかったら間違いなく死を選ぶぞ!」  「そう、それなら私が殺してあげるわよ。馬乗りになって、お腹に何度も包丁を突き立てて...あ、そうそう、最後はめちゃめちゃ改行を入れたメールも送っといてあげる。名前も誠(まこと)なら完璧じゃない。」  「やめてー!!そこまで手の込んだモノをブチかましたら、本当に色んな意味で完璧に終わるからマジでやめてー!!そもそもそこまでやられるようなことは何もしていませんのでマジで勘弁してください!!!」  「貴方みたいなクズってみんなそう言うのよ、ヒロイン以外の数多の女と何度もヤッている奴がよく言うセリフね。ああ、じゃあそれをする代わりにこう言っといてあげるわ」  そう言いながら彼女は、僕の耳元に口を近付けて、こう言った。  「誠氏ね。」  その彼女のセリフも(っていうかセリフの誤字も)昨日琴音に言われた気がして、僕はある意味、社会的に死んだ気がした。  そしてもしかしたら 柊 小夜 は、生まれながらの殺人鬼なのかもしれないと、そのとき微かに、思ったのだ。  一通り柊の口撃に身を焼かれた後、僕達は若桐の提案で初島に訪れることになった。  なんでも熱海から30分程船に乗っていれば到着してしまうらしく、本州に一番近い離島として観光客は多く、とても人気らしいのだ。  初島に向かう途中、船に乗り、景色を眺めながら柊が言う。  「それにしても、船なんて生まれて初めて乗った気がするわ。なかなか気持ち良くていいモノね。」  「そうなのか?」  「ええ、だって船なんて、今の日本では交通手段ですらないじゃない。」  たしかに、言われてみればそうかもしれないと、僕は思った。  「昨日見に行った熱海城の、江戸の生活を説明する中にはさ、川とかを通るために、意外と多くの船が使われていたらしいんだ。」  「ふーん、それで?」  彼女のその返答に、僕は少し戸惑って、聞き返す。   「それでって...?」  「何か思う所があるんじゃないの?今の貴方は、そういう顔をしているわ」  それってどんな顔なんだろう...  しかしながら柊のその言葉は、決して的外れでもなく、むしろ的を射ていた。  だから僕は素直に、今考えていることを、進む船の上で景色を見ながら、目の前の彼女に伝えたのだ。   「...いや、別にそんな大したことでもないんだけど、今の生活ではもう使われなくなったんだなって思うと、これから先の未来にも、同じように、今は使っていて、いつしか使われなくなるモノって、一体どれだけあるのかなって思ってさ...。」  使えるモノ、使われるモノ、使えなくなるモノ、使われなくなるモノ、そういう色々なモノが、きっとこの先の未来でも、目まぐるしく入れ替わるのだと、僕は柊に話ながら、なんとなく、そんなことを考えていた。  「...そうね、きっと数えきれないくらい、この先そういうモノは出てくるのでしょうね...」  そう言いながら柊は、顔色を全く変えないで、そして視線の先のは変わらずに、海を見つめていた。  そして僕は、そんな柊の同意の台詞が、僕には何故かとても悲しそうに聞こえた気がして、少しだけ心に、名前の付かない様な痛みを感じた。  その痛みは、きっと彼女の心の内を、あのとき嫌になる程受け止めたから、だからきっと、嫌になるほど感じることが出来るモノなのだと、そんなことをわかった様に思いながら、僕も彼女と同じように、青く澄んだ海を見ていた。  そしてそんな僕の心を、まるで気にもかけない様子で、船には初島への上陸を告げるアナウンスが流れた。  そしてそのアナウンスを聞いて、どこか違う場所で景色を見ていた若桐が、目をキラキラと輝かせながら、少しばかり小走りになりながら、僕達に「もうすぐ着きますよ」と、そう告げる。  そしてその言葉に、少しばかり心が揺れるのも、また本当のことなのだ。  船は初島に、上陸した。  初島に到着後、最初に僕達はマリンスポーツ体験の予約をするために、それを取り仕切っているお店に向かった。  店内は予想通り、観光客が大勢居て、予約を取れるかが不安だったけど、なんとか昼過ぎの14:30で予約を取ることが出来た。  そして店を出て、携帯で時間を確認すると、時刻は11:00を指していたので、僕は二人に尋ねた。  「空いた時間、どうしようか...?」  「そうね...お昼ご飯にはまだ早いから、何処か手軽に行ける観光スポットがあればいいんだけど。」  そう言いながら、柊と僕は携帯やらパンフレットやらを使って、初島の観光地を調べ始めた。  するとそんな僕達を見ながら、若桐が少しだけ申し訳なさそうに、小さく手を挙げながら言う。  「あのーもしよかったらなんですけど、あそこに行きませんか?」  そう言いながら、彼女は店から見える灯台を指さした。  そしてその灯台を見て、僕も納得して、彼女の方を見た。  「あー初島灯台か、たしか歩いて15分位だったっけ?」  「はい、なので時間的にも、丁度いいと思いまして。」  そう言いながら、若桐は綺麗な着物姿を靡かせて、ニッコリと笑う。  その彼女にとってはなんてことない仕草が、今一度、何故かとても幻想的に見えてしまって、僕はこのとき、近くにいる柊に気付かれない様に、ひっそりと息を飲んだ。    そしてその若桐の言葉を聞いて、柊も同意を示した様子だった。  「そうね、たしかに時間的にも距離的にも丁度いいし、私は構わないわよ。」  そう言いながら、柊は携帯を鞄に入れる。  こうして、どうやら最初の行き先は、初島灯台に決まったのであった。  灯台に向かう道中、足早に先を急ぐ若桐を追う様にして、僕と柊は隣同士、並んで歩いていた。  そしてその最中、隣に居る柊が、ポツリと言った。  「ねぇ、荒木君。どうしてあの子、着物姿なのかしら...?」  「えっ?」  その柊の言葉に僕は一瞬戸惑った。  「...なんだよ、いきなり...」  「いえ、別に...今日会った時からずっと疑問だったのよ。あの子はどうして、あんな古臭い着物を着て、わざわざ海に居たのかしらって...」  そう言いながら、柊は前を歩く若桐をジッと見つめていた。  たしかにそう言われると、あんな砂浜で着物姿でいることは、不自然なことなのかもしれない。  けれど考えてみたら、最初から彼女は、あの着物を着ていた。  昨日僕が彼女を見つけたときも、彼女は今日と変わらず、着物を着ていた。  だからなのかもしれない。  だから僕は、何も疑うことなく、何も疑問を抱かないで、若桐と接していたのかもしれない。  そんな風に考えながら、僕は柊に言葉を紡ぐ。  「古臭いって...別にそんなこともないだろ?凄い似合っているし...それに着物を着ているのだって、ただ単に好きで着ているだけかもしれないじゃないか。」  僕がそう言うと、柊は少し視線を僕に向けて、そして何かを言おうとする。  けれどもそれは口にはせず、しばらく押し黙り、そして代わりの言葉を、僕からも、前を歩く柊からも視線を外して言う。  「...そうね、たしかにそうかもしれないわ。ごめんなさい、今のは忘れて...」  その彼女の、普段は見せない様子を見て、僕は少しだけうろたえながら、彼女に短く返事をする。  「あぁ...わかった。」  僕がそう言うと、いつの間にか初島灯台は僕達の目の前にあった。  どうやら話している間に、到着してしまったみたいである。  「柊さん、荒木さん、着きましたよー」  前を進んでいた若桐が、灯台の入り口で振り返り、僕達に手を振りながら、大きな声で呼ぶ。  そしてその声に反応する様にして、僕は柊の手を取って、「行こう」と言いながら、走る様にして若桐の所に向かった。  灯台に登ると、そこからは初島の綺麗な景色が一望できた。  昨日見た熱海城とはまるで違い、島と海と本州の陸が、そこからは一望できた。  「凄いな...」  何も言葉を知らない子供の様に、僕がそう言うと、それに対して同じタイミングで、柊と若桐は同意して、それがなんだかおかしくて、僕達は笑った。  そしてそこで写真を撮り、その後は灯台を降りて、僕達は近くにある食堂でお昼ご飯を食べた。  そして昼食後は、時間も丁度いい具合になったので、先程予約をしたお店に、マリンスポーツをやりに向かったのだ。  そこではダイビングをしたり、ボートに乗ったり、さらには全然関係ない海釣りをしたりと、普段の生活では味わうことが出来ない様な体験をすることができた。  そしてそれら全てを遊び尽くし、帰りの船に乗る頃、若桐は遊び疲れたのか、僕の膝の上で眠ってしまっていた。  それを見て、隣に座る柊が僕に向けて、少しだけ攻撃的な口調で言う。  「随分と懐かれているのね、荒木君。」  「そういうのじゃないだろ、単に遊び疲れて、眠ってしまったんだ。」  そう、時折忘れてしまいそうになるけれど、若桐はまだ14歳の女の子だ。  だからきっと、こんなあどけない姿の方が、普段の浮世離れした綺麗な姿を見せる彼女よりも、年相応と言えるのだ。  そんな彼女の寝顔を見ながら、僕はポツリと、柊に問いかける  「...なぁ、柊。今日一日、若桐を見ていてどう思った...。」  その僕の急な問い掛けに、柊は何も動じることなく、それでもしばらく間をとって、言った。  「...そうね...年相応の、普通のかわいい14歳の女の子だと思ったわ...」  「...そうだよな...」  その僕の反応を見て、柊が少しだけ心配そうに、僕に言う  「まさか荒木君、今日私が言ったこと気にしてるの?」  「...いや、別にそういうわけでは、ないんだけどさ...」  「...?」  そう、別に今日柊に、あんなことを言われたからとか、そういうわけではなくて、ただ単に、僕はこの着物姿で眠る少女が、僕等と同じ様な、人間から逸脱している存在ではないことを、異人ではないことを、確認したかっただけなのだ。  それを確認して、安心したかった。  なぜならその確認が、僕がまだ、普通の人間との関わりを持てていることを、僕がまだ限りなく人間側であることを、そんなことを証明してくれるような、そんな気がしたからだ。  船内にアナウンスが鳴り、初島から熱海に戻る船が、動き出す。  まだ旅行中の筈なのに、余程楽しかったのだろう、自分の中に、なんだか不思議な名残惜しさを感じてしまう。  そんな今まで感じたことがない気持ちを感じながら、隣と膝に女の子が居るこの不思議な状態で、僕はこの旅行の、2日目の幕を、閉じたのだ。                  
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