海閉め

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海閉め

「あいつカジキかよ!!」 「カジキは言い過ぎだろ?」 遠くで騒ぐショウジといっちゃんを置いて、少し深いところへ潜った。青や黄色の魚がサンゴに出入りしている。斑点模様のウミウシが、岩にへばりついている。足をつけた砂はさらさらで真っ白で、ここで昼寝ができたらさぞや気持ちいいんだろうな、といつも思う。灰色の貝がらを拾おうとしたら、息が苦しくなったから水面へ上がった。 「ぷはぁっ!」 息切れしながら岸のほうに目をやると、ショウジたちが見えた。 「おーいー、なにやってんだよ、溺れるぞ!」 「なんかあったー?」 「まってろー、とってくるー」 さっきの貝がらを拾うために、息を吸い込んでもう一度潜った。海底に白い巻き貝を見つけた。筋の入った、うずまきがきれいな貝がらだ。もう殻の主はいないようだった。 吐いた泡が明るいほうへふよふよとのぼっていく。それを見るのは楽しかったが、また息が持たなくなった。 「これ、拾った」 「へー、かっこいいじゃん」 いっちゃんは貝がらを手の上で転がした。太陽の下でみると、貝がらは案外灰色だった。 「あげるよ。おいら、また見つけて来られるし」 「いいの?ありがと」 いっちゃんは嬉しそうに貝がらを太陽に透かした。いっちゃんは泳げるけど、潜るのは得意じゃない。 「どこにあった?おれも探してくる!」 ショウジが横から覗き込んできた。 「あの岩の下だった。行く?」 「うわ〜…タコいる、絶対タコいる〜」 ショウジはタコが嫌いだ。少し安心した。ショウジのことは嫌いじゃないけど、あの場所にはおいらしか行かないってことにしておきたかった。 その日は暗くなるまで遊んでいて、夕飯の時間に母ちゃんに呼び戻された。いい加減にしなさい、と叱られた。 翌日は珍しく、天気が悪かった。大岩のずっと向こうが、ひどく濁っているように見えた。こういうときは危ないから、おいらたちは海に入らなかった。家で大人しくしている性分でもなかったから、ショウジたちと島の中をぶらぶらした。 貿易屋は島の中で一番 、ハイカラなものを売ってるお店だ。唯一と言ってもいい。貿易屋というだけあって、島の外の物を売っている。 「おじさん、ラムネいっこ。」 「あいよ、五十円でいいよ」 ショウジがラムネを買った。貿易屋の店主はヒゲのおっちゃんだ。おっちゃんは、薄暗い店の中で煙草を吸いながら、日焼けしてふやけた本を読んでいる。煙草も印刷された本も、この島には無いものだ。ショウジがもったいぶりながらラムネを少し分けてくれた。口の中がぴりぴりする、不思議な味だ。 「そろそろ、海閉めか…」 夏の一番暑いとき、この島では漁も泳ぎも禁止される。海閉めという。おいらは泳ぎたくて仕方がないけど、大人に、特にじいちゃんばあちゃんに見つかると大目玉だ。海の神様だか地獄の殿様だかに、魂を取られるぞとか尻子玉抜かれるぞとかおどかされる。小さい頃は信じていたけど、毎度脅し文句がちょっとずつ変わるものだから、そろそろ疑わしく思っている。 「決まりだからねぇ、仕方がない」 貿易屋の腰掛けであめ玉を舐めながら、いっちゃんは大人みたいなことを言う。いっちゃはおいら達より少し年上だから、聞き分けがいいしガマンできるらしい。 「海の神様が寝たいんだよ、知らねぇの?起こすと怒られんだぞ」 「神様ならいっつも寝てんじゃん。サンゴの穴の中で」 神様というのは、島の近海に棲んでいる斑点模様のでっかいフカのことだ。ここらの神様だといわれている。 「ほんの七日くらいじゃん」 「そうだよ、無理すんなよ。そのかわりスイカが食えるぞ。さっき見ただろ、でっけぇやつ!」 「ショウちゃん、スイカは叩かないと、うまいかどうか分かんないよ」 スイカもうまいし珍しいけど、海とは別だ。ほんの七日が、すごく暇でしょうがない。気づいたら草履のかかとで砂利を掘っていた。 何か面白いものはないかと、ごちゃごちゃした貿易屋の中を見回すと、店の裏の車が目に入った。どうせガラクタだろうから、いつもはここへ来てもさして気にしないものだった。 「おっちゃん、その車、動くの?」 「うーん?こいつか。こいつはオフロードだ。力のある車なんだよ」 おっちゃんはふふんと笑ってこっちを向いて、車を撫でに行った。馬か何かに引かせるくせに、力があるとは何なのか。 「だーかーらー、そのお風呂は動くんかよー、乗らせてよー」 「もう何十年も乗ってねぇからなぁ、動かねぇだろうな。それに、坊主の憂さ晴らしにゃもったいねぇ車だよ」 「泥だらけじゃんかよ」 「そこがいいんだよ」 おっちゃんは煙草を灰皿にぐりぐりして、別の本を開いた。ショウジが飲み終わったラムネ瓶をひっくり返している。 「おじちゃん、こん中のビー玉ちょうだよ」 「それは回収するからだめよ。ビー玉が良けりゃこっちをやるよ、一個とりな」 おっちゃんが棚の上のブリキ缶を取り出した。中に透明なビー玉がいっぱい入っている。 「でっかいやつじゃん、やったー!ありがと!もう行こうぜ」 「おう」 「ごちそーさまでしたー」 ぬるく湿った空気の中、おっちゃんの生返事を聞きながら、おいらたちは坂を登った。ショウジといっちゃんは家に帰った。おいらは逆方向へ、海を眺めに行った。 原っぱに立つと、海風が吹いてきて、少しだけ涼しい。原っぱの先は崖になっていて、落ちたら海だから、眺めはすごくいい。でも今日は、地平線が見えないくらいに、海の向こうが濁っていた。 どこを探しても、船は一つも見えない。漁の舟も遊覧の舟も、下の浜に並べられていた。 「つまんねぇの」 ちょびちょび生えた草の上に寝転んでみた。目をつむって、白い砂を思い浮かべる。ここが海の底なら、空の上にはまた空があるだろうか。 白いちょうちょうが横切った。あれは、カサゴの子。カワハギが岩の上で休んでいる。にゃあにゃあ鳴きながら、何処かへ飛んで行った。カワハギを追いかけて、原っぱの終わりまで来た。崖の下は小さい浦になっている。 岩の影にクジラが寝そべっている。薄目を開けて、こっちを見た気がした。
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