神様

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

神様

そのとき、急に死んだひいばあを思い出した。ひいばあは楽器が上手だった。特に三線が得意だった、と聞いている。ひいばあの記憶は次々頭に浮かんだ。ひいばあの弾く島の祭囃子を、その一言一句、一音ずつを鮮明に頭の中で鳴らすことが出来た。次第にひいばあの姿も思い浮かべることが出来るようになった。白地に赤の大きな柄が入った着物を着て、しゃんと背筋を伸ばして三線を弾くひいばあはかっこよかった。三線は黒くてつやつやで、縁に金色の柄が入っている。 (テツオ、今日はアワビだよ。炭火焼きにしてやるからね) じいちゃんに呼びかける、ひいばあの声。とても小さい頃に聞いた気がするような、しないような。おいらは今海に落ちてて、でっかい魚が目の前にいて、とても思い出に浸っている場合じゃない。なのにどうして今、ひいばあのことを思い出すのだろう。さっきひいばあの墓の横を通ったからだろうか。それともこれが、お迎えってやつか。 (かみさま……?) 眠たそうな目をしておいらの前を横切ったのは、いつも珊瑚の中で寝ている、あの神様だった。神様はゆっくりおいらの下に潜って、背中でおいらを海面まで押し上げてくれた。自分で上がるよりずっと水圧が強かった。 海の上で神様は止まった。おいらが生きていることを確かめているみたいだった。神様の背中で息をついて、鼻に入った水を吐き出した。 「もしかして、舟ひっくり返したの、神様?」 神様は答えないかわりに、島の方へ泳ぎ始めた。反対に舟が光の粒の方へ流されていく。 「待って!ごめんな神様、海閉めなのに海に入って。あの舟、借り物だから持って帰らないと」 背中から降りようとすると、神様は尻尾を振り回した。その波で舟は余計に流れていってしまった。舟を追いかけるな、海に入るな、ということらしい。 「わかったよ」 夢中で舟を漕いでいて気づかなかったが、島からだいぶ離れてしまっていた。確かにこれ以上沖に出たら帰れなくなりそうだ。名残惜しい気持ちで舟を見送った。側面の漆に橙色の光が映る様があまりに綺麗だった。 神様と一緒に泳いだことはあっても、乗ったのは初めてだった。神様は大岩を目指して泳いでいるらしい。あそこは神様の寝床なのだ。左右に穏やかにうねる背中で揺られると眠くなってきた。そういえばいつもはまだ寝ている時間だった。 大岩まで来ると、神様は止まった。おいらが大岩に下りると、大岩の下のサンゴの穴の中に入っていった。沖を見るともう光は少なくなっていて、たちまち消えてしまった。水平線が明るくなるまで待っていたけど、次の光が現れることはなかった。海にいることがバレたら大変だから、太陽が海から出てくる前に、浜まで泳いで家に帰った。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!