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ひいばあ
海閉めが終わって、庭でスイカを割って食べていた。格子の生垣にハイビスカスが咲いている。母ちゃんが好きで植えたのだ。海の向こうの入道雲は一際大きく、放っておいたら島まで覆ってしまいそうだ。縁側の少し外側に、陽射しと影のはっきりした境目がある。その景色がひいばあの思い出と重なって、ふいに島の歌を口に出してみた。じいちゃんは飲んでいた酒を置いた。
「葵、その歌どこで聞いたんだ?」
「ひいばあがよく歌ってたろ?三線で」
おいらが三線の真似をすると、じいちゃんはもっと驚いてギョロ目をひん剥いておいらを見た。だいぶ怖い。
「母さんは、おめえがまだ口もきかねえ赤ん坊のときに死んだんだ。よく覚えてるな」
確かにそうだった。おいらはひいばあと喋ったことがない。赤ん坊の頃、家に今の家族の他に誰かいた、という気がする程度だ。
「でも覚えてるんだ。黒い三線で、金の柄があるだろ?」
「そうだ。あれも母さんが死んだときに、姉さんが形見に引き取ったんだよ。それからこの家には持ってきてねえぞ。姉さん家にも行ったことねえだろう」
じいちゃんのお姉さんは、確か本土にいると聞いたことがある。お姉さんが里帰りしたことはあるが、確かにおいらはじいちゃんのお姉さんの家に行ったことがない。
「でも、なあんか覚えてるんだよなあ。ひいばあ、よくじいちゃんにアワビの炭火焼をこさえてくれたろ?」
じいちゃんは今度は眉間に皺を寄せた。
「そりゃあ、ハツコと結婚する前の話だぞ。母さんはハツコが来てから料理に口出してねえんだから。ハツコと間違えてるんじゃねえか?」
記憶にあるのはひいばあだと思う。だってハツコばあちゃんは、じいちゃんのことをテツオとは呼ばないし、何より見間違えないくらいすごく小さいばあちゃんなんだ。記憶の中の人物は母ちゃんより背が高いくらいだった。
その後もじいちゃんに、ひいばあの記憶を話した。どれも確かにあったことだった。だけどおいらが生まれる前のことらしかった。
「まっさか、母さんがついたんか…葵、海閉めの晩に、なにか見たか?」
「えっ…」
心臓がバクバクいっている。まだバレてないはずだった。どうしてひいばあの話でバレるのか。
「その顔は、当たりだな」
「ううう、ごめんよお、じいちゃん。おいら、海で、火の玉見た」
じいちゃんは驚いたような、呆れたような顔をしていた。ちょっと前ならげんこつ一発だったが、もう殴る元気がないらしい。
「こんの、悪ガキめ。海閉めっちゅうんはな、ご先祖さんが島に帰ってくる時期なんだ。その火の玉は、黄泉蛍っちゅう、ご先祖さんの魂だ。見たら取り憑かれるぞ。憑かれたモンは、ご先祖さんの記憶をもらうんだ。ご先祖さんはな、海から黄泉蛍になってやって来るんだ。だから、海でご先祖さんを邪魔しねえように、島のモンは海に入っちゃいけねえんだ」
つまり、おいらはひいばあの魂を見て、ひいばあの記憶をもらったということらしい。あの中のどれかが、ひいばあの魂だった。他の光の粒も全部、この島の誰かだったのだろうか。
「黄泉蛍はきれいだが、生きてるモンを呼ぶんだよ。そんで、うっかり黄泉蛍のいる海に入ったら、命を取られるぞ」
「ええ、おいら、死ぬの?」
おいらは泣きそうになった。よくわからないけど、死ぬのは怖かった。じいちゃんはため息をついた。
「殺す気ならその場で尻子玉抜かれとるわな。しばらく生きとるから大丈夫だろ。まったく、憑いたのが母さんでよかったな。命拾いしたぞ。タチの悪いのが憑くと狂人になっちまう」
「よおかったあ…」
じいちゃんは真剣な顔をひっくり返して静かに笑った。今日ほどじいちゃんが頼もしく見えたことはない。父ちゃんよりでっかい牙が、隣の歯が欠けたせいで余計に目立って見える。
「まったく、タツオの子だいな。奴も海閉めの日に悪さしたことがあったいなぁ。お前よりでっかくなってからだけども」
かくいう俺もやらかしたけどな、とじいちゃんは小声で付け加えた。親子三代でとんだ悪ガキだった。
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