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貿易屋
季節が秋に入りかける頃、残り少ない日射しが惜しくて、おいらは足しげく海に通っていた。家を出たら急に喉が乾いて前にショウジが飲んでたラムネが欲しくなったから、一人で貿易屋に寄った。錆びた扇風機が回る店の中で、おっちゃんが車を磨いていた。薄茶色だと思っていた車は、磨いたところだけくすんだ緑色に光っていた。
「おっちゃん、車動くの?」
「おお?カジキの坊主か。今から車、動くよ。大陸のものを仕入れに行くのさ」
おっちゃんは得意げにヒゲをさすった。
「うそつけー、そんな重たそうなもん、おっちゃんが引いて行けるんかよ」
「俺は引かないよ。こいつで動かすのさ」
おっちゃんは足元の四角い缶からを蹴っ飛ばした。
「なに、それ?」
「まぁ、ガソリンってんだけど、分かりやすくいうとこいつのご飯だな。坊主も母ちゃんのおっぱい飲んでるだろ?」
「おっ………っ!もう飲んでねぇ!」
おっちゃんはひとしきりゲラゲラ笑った。
「どうだい、坊主。こいつに乗ってみるかい?」
「いいの!?乗る!…その前に、ラムネちょうだい!」
ラムネをもらって、おいらは車に乗せてもらった。車に入るのは初めてだ。おっちゃんは木箱をいくつか後ろの席に載せて、自分は運転席に乗り込んだ。木箱から魚の匂いがした。
「シートベルトをお締めくださあい」
車は確かに、何にも引かれず動き出した。やたらと大きい音がして振動していた。浦まで行く途中、おっちゃんはベラベラしゃべっていた。
「最近知り合った奴から面白いものを売ってもらったよ。そいつは森の連中相手に商売をやってるやつらしくてな、外国の薬だとか骨董品だとかなんとか…俺がエイの干物をやったら珍しくて売れるって喜んでたわ。でなぁ、こないだの禁漁のときに帰ってきたんだけど」
「禁漁って、海閉めだろ!?海に出ていいの?」
平然と言ってのけるおっちゃんにびっくりして、自分も海に入ったことはそっちのけで聞いてしまった。
「俺は島のモンじゃないからいいんだよ」
「でも海の神様に怒られるだろ?」
「は〜ん、坊主は知らないのか。島の大人は教えないからなあ。そもそも知らないんじゃないのかね?教えてやってもいいぜ」
おっちゃんがニヤリと笑って、車のレバーを動かした。オンボロの車がガクッと止まった。
「道が狭いなあ〜」
車は道かどうかも怪しい場所をうろうろ走った。途中からおいらが道案内をする羽目になった。おっちゃんの操縦は乱暴だった。ずっと車を動かしてなかったのだ。やり方を忘れているに違いなかった。ようやく港に着いた頃にはひどく頭が痛くなっていた。
「海閉めの話だっけ。知りたいの?」
車の中は、扉で明確に外と区切られていて、見慣れないものや素材でできた空間だった。外の音は遠くて、景色は色のついたガラス越しに沈んで見えた。溝から冷たい空気が吹き出て、外と季節が違うみたいだった。海の中みたいじゃないか。島の誰にも、神様にだって、聞かれやしないさ。秘密の告白にはぴったりな場所だった。おいらはおっちゃんに、あの夜あったことをすっかり話してしまった。おっちゃんは島の決まりの外にいるみたいから、おいらが海に入ったことを怒らないだろうと思った。おいらは、おっちゃんが知っている本当のことが欲しかった。
「手漕ぎボートで沖まで行って、海に落ちて自力で帰ってきたか。さすがは鬼の子だなあ。強いねえ」
おっちゃんは驚いたあと、爆笑した。
「そんなにおかしいかよお」
笑われるのは嫌だったが、おいらはじいちゃんの言いつけを守らず悪さをし、死にかけた身なのだ。甘んじて笑われなければなるまい。
「黄泉蛍、か。なんてことはない、対岸の人間がやってる、精霊流しさ。舟に火を乗せて海とか、川に流す儀式だね」
「対岸て、近くに島があるの?来年、そこ行って、近くで見たい!」
おっちゃんは穏やかに教えてくれた。
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