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念願の一人暮らしから九ヶ月、もうすぐお正月になる。
晴香は、実家に帰る前にマンションの大掃除をしていた。
と言ってもワンルームの小さな部屋だ。キッチンやお風呂をいつもより少しだけ念入りに磨いて、あとはのんびりと机の周りの片付けを始めた。
参考書やパソコンを片付けて、机の上を拭いて、それから晴香は一番上の引き出しを開ける。その中には古びた文房具がいくつか。きちんと整理されて入っている。晴香は深緑色の短い鉛筆を一本手に取った。
「ずいぶん短くなったねえ」
「ボクももう五歳だから……眠いんだ……」
引き出しの中に、いつの間にか小さな男の子が立っていた。
晴香は驚くわけでもなく、男の子の顔を覗き込む。眠そうに眼をこすってる男の子の服は鉛筆と同じ深緑色で、背の高さも五センチくらい。
この子は鉛筆の付喪神だ。
「今日は何を書くの?」
鉛筆の付喪神が聞いた。
「スケジュール帳よ。明日実家に帰ろうと思って」
「分かった。早く書いて!」
「うん」
短くなった鉛筆を指先で持って、スケジュール帳に小さい文字で『電車9:32』と書きこむ。
「晴香の字は小さいなあ。もっと大きい字で書けばいいのに」
「だってまだ後で書くかもしれないでしょ」
「ふーん」
――なるべく長く使いたいから。付喪神には内緒だけど。
「今はもう書き終わったよ。寝るのはこの引き出しでいい?」
「いいよ。ここは静かで気持ちいいんだ」
「じゃあまたね。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
長い間大切にしていた物が付喪神になると言うけれど、晴香は違うんじゃないかなって思ってる。少なくとも文房具に関しては。
晴香には文房具の付喪神が見える。初めて見えたのは高校一年の時だ。英語の単語のテストが苦手で、真新しいノートを睨みながら「ヤマが当たれー、当たれー」と祈っていたらポンッと机の上に付喪神が現れたのだ。それはもうビックリだった。
驚き過ぎて声も出ない晴香に向かって、付喪神は喋りはじめた。
「さっきからお前さあ、当たれ当たれって祈るばかりでちっとも書いてないだろ。書けよ、ほら。単語を書けってば」
「あ、あ、あんた、何?」
「ああん? 付喪神だよ。お前が睨んでるノートの付喪神」
「ツクモガミって?」
「知らねえの? 付喪神ってのは物に宿ってる神様だよ。オレはこのノートの神様。分かる?」
そう言うとノートの付喪神は机の上にドカッと座って、晴香が勉強するのを見張り始めた。
「神様なら、明日のテストに出るところを教えてよ」
「知らんよ」
「なんでっ。神様なんでしょ」
「だって問題出すのオレじゃねえもん」
「……それもそう……かな?」
「そうだろ。そんなことより、ほら、書けってば」
あの時のテストはどうにか八〇点は取れたんだった。付喪神に怒られながら一生懸命勉強したから。
引き出しの奥のノートにそっと触れる。
このノートの付喪神はもう晴香の前には現れてくれない。
ノートを使いきって役目を終えたら、付喪神は現れなくなった。晴香はずっとずっと大切にノートを仕舞っているけれど、このノートの神様はもう現れない。眠りについたのかもしれないし、どこか他の場所へ行ってしまったのかもしれない。
けれど今でも大切なノートだ。
◇◆◇
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