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三段目の引き出しの中で付喪神が付いているのは、たった一つだけだ。
それはもう半年くらい、一度も取り出していない。
長いこと顧みられなかった物からは、付喪神がいなくなってしまう。だからこれまで晴香はどの付喪神にも、花に水を上げるがごとく、なるべくこまめに話しかけるようにしていた。
でも三番目の机の奥にあるのはずっと手に取ることができなくて。
久しぶりに取り出した。
それは一冊の本。
もう付喪神はいないかもしれないけれど。
「晴香さん、久しぶりね」
机の上に、綺麗な女の人が立っていた。この本の付喪神だ。
「まだ……ここにいたんだ」
「そうよ。退屈だったわあ。晴香さんったら最近はちっとも読んでくれないんだもの」
「……ごめん」
「もうこの本は正志さんに返したら?」
「なんか、会いに行きにくくて」
「まあ! まだ喧嘩をしているの?」
「……うん」
正志は晴香が高校の時に付き合ってた彼だ。この本は正志に借りたまま、もう一年以上も晴香の手元にある。
最初はただ読みたくて借りたんだった。
正志が好きな本だったから。
読んでたら付喪神が現れて、いろいろと正志のことを話し始めた。
だからもうちょっと手元に置いておきたくて……。
付喪神はいろいろと教えてくれた。正志の好きなお菓子はポテトチップス。読みながら食べるのはやめて欲しかったとか。
正志の好きな歌は歌詞が無くてメロディーだけだった。ふんふんと鼻歌を歌ってたらしい。付喪神が真似して歌ってくれるけど、音痴だから誰の歌だかちっともわからなかった。
「私が音痴なんじゃないわよ。正志さんが音痴なの」
本当かどうか分からないけど、付喪神はそう言って楽しそうにまた歌った。
勉強は国語が好きで、夜は十一時には寝てる。犬が好きでいつも可愛がってた。
そんなちょっとした話を、付喪神から聞くのが好きだった。
でも大学生になってちょっと経った頃、晴香は正志と喧嘩した。
本当に些細なことだったと思う。最近連絡するのがどっちからが多いとか少ないとか。どちらかが一言ごめんって言えば仲直りできたかもしれないけど、二人とも黙り込んでしまった。遠距離恋愛でなかなか会えなかったからかもしれない。そしていつしか仲直りするきっかけを失った。
もう会わなくなって半年にもなる。
「もうっ。半年も私をここに閉じ込めちゃってたのね。ふわぁ……眠くなっちゃうわ」
「ごめんね」
「それは私にじゃなくて、正志さんに言ってみたら?」
「今更だよ」
「でも、じゃあ私はどうするの? 正志さんの本なのよ」
「……このまま持ってたらだめかな?」
「だめだと思うわあ」
「どうしよう?」
「返しに行けばいいと思うわよ」
「無理」
――今更どんな顔をして会いに行けばいいんだか。
「手渡しするのが嫌なら、お手紙と一緒に送ればいいんじゃない?」
「……それ! それならできるかな」
「あっ、お手紙だと届くのが来年になっちゃうわね」
「うん」
「せっかくなら今年のうちに片付けちゃいましょう」
「え?」
「晴香さんが正志さんの家のポストに自分で入れればいいのよ」
「ええっ」
「会うわけじゃないし、ポストに入れるだけなんだから大丈夫よ」
「そうかな?」
悩んでいると、二段目の引き出しの中からカタカタと音がしはじめた。
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