025-“咲夜御殿”とは何か(1)

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025-“咲夜御殿”とは何か(1)

 数日後。  私の世界に帰る前日。私はツキカゲさんの案内で初日に訪れた商店街と“咲夜御殿(さくやごでん)”を観光することになった。この数日、訓練は頑張っていたのだが、やはり零因子の濃度が濃くなりそうな遠方には行かないほうがよいだろうとタロが判断したためだ。  だが、私とツヨには都合がよかった。シンの痕跡が昨日から咲夜御殿近辺で反応していたためだ。シン関係のことは、ツキカゲさんとタロには内緒にしている。ここ数日一緒に過ごしているが、タロも“死の契(しのちぎり)”以外のことは何も知らないようだ。  今、私はツキカゲさんとタロとツヨと一緒に混雑した商店街を歩いている。 「……ツキカゲ。愛紗を転ばせないようにね」 「なんだいタロ。子供扱いかい? ほら、愛紗。早く」  ツキカゲさんは、私の手をグイグイ引っ張りながら、タロやツヨより早く歩いている。そのため、タロに何度も諭されていた。 「ほら、愛紗。もう少し早足で。ね?」  ツキカゲさんは楽しい気持ちを抑えるつもりもないらしい。だが、それもそのはず、今日は咲夜姫の世界創世を祝う“咲夜祭(さくやさい)”というイベントがあるらしい。この日は特に咲夜姫の恩恵にあやかりたいと、この世界の方々から商人が集まり露店を設けるとのことだ。この世界中の食料や素材、工芸品が一か所に集まる日をツキカゲさんが楽しみにしていないはずがない。 「ツキカゲさん。すみません。足元がよく見えないので、もう少しゆっくりでもいいですか?」 「そうかい? 足元や周囲の感覚を感じ取るのも訓練の一つだよ。ほら、私がリードするから訓練のつもりでどんどん歩いてみな」  ……訓練とはうまく言ったものだ。まっすぐ歩いているものの、霧が次第に強くなっているので歩きにくいこと、この上ない。 「御殿もねぇ、若干場所が移動するものなのさ……今日は商店街沿いの道が御殿に直結するからほとんど道に迷わないよ」 「え? 普段は行けないんですか?」 「まぁ、私やタロ、一部の強い種族は方向を感じ取れるから行けるけど。“夕闇(ゆうやみ)”に狙われそうな場所には気軽には近づけないねぇ」 「夕闇?」 「……あぁ、特殊な刻印を付けた罪人のことさ。彼らは御殿のまわりを縄張りにして、人さらいとか泥棒とかするのさ。咲夜姫に所縁のある場所のまわりにはよくいるねぇ。まぁ刻印があって改心してる奴も知っているけど相当特殊な例だよ」  気のせいか。ツキカゲさんの口調が少し暗くなった気がした。  フードのせいで、ツキカゲさんの顔はよくわからないが……    ――グイッ。 「と、いうわけで。この道も祭りで人通りがあるとはいえ、危ない道には変わりないよ。もう少し早く歩こうね」 「ええっ?!」  ツキカゲさんの手を引っ張る力が強くなったことで、深く考える機会を失ってしまった。  タロとツヨとは大分離れてしまったが、どこかの露店で会うことができるだろう。 *****  もう1時間ほど歩いた頃だろうか。  目の前にあった小さな光が次第に大きくなっていき、数十層にも重なる巨大な和風の御殿が霧の中から突如姿を現した。 「お待ちどおさま。ここが咲夜御殿さ」 「うわぁ」  思わず声が漏れてしまう。私の世界では到底実現不可能なものだったからだ。  建物は楼閣のような特殊な建築物群が何層にも積み重なり、いくつもの渡り廊下でつながっている複雑な構成だった。絵画や彫刻といった装飾も様々な色で彩られ、はめ込まれた無数の宝玉が建物や周囲を煌々と照らしている。  私はふと御殿の全景を見ようと最上層に向けて目を細める……が霧で何も見えない。一体この御殿はどれくらいの高さなのだろうか?  「御殿の最上層は今までみたことないねぇ。誰も見たことないんじゃないかい?」  ツキカゲさんが私の様子を見てすぐ話しかけてくれる。きっとツキカゲさんも以前同じことをしたのだろう。 「この御殿には誰も入れないんですか?」 「そうだねぇ。特殊な結界のようなもので入れないんだ。神話では巫女がいると言われているけどねぇ」 「巫女?」 「代々咲夜姫から御殿の管理を任されている巫女だよ」 「え? なら咲夜姫の恩恵って何なんですか?」  普通、祭りといえば神主さんのような人がいて祭事を行うのではないのだろうか? 「この祭りは私たちが勝手に祝っているだけだね。咲夜姫の恩恵は、一年に一度御殿から放たれる特殊な零因子の光線をそう呼んでいるんだ」 「光線?」 「まぁ、ついてきなって」  ツキカゲさんはそう言うと、私の手を引き、御殿前の露店の密集地に連れて行った。  露店は、飲食や物販、見世物等が300~400軒立ち並んでいるような大きな市場で、商いをしている商人も動物や妖怪、精霊、怪物、人に似たもの等、多様な種族が混在していた。 “種族数:約1万――”  たまに“宙の法(そらのほう)”も、私の考えていることに反応している。  私は私服に羽織で歩いているが、あまり目立つような視線も感じないのはその種族の多さからだろう。 「愛紗。ここに立ってるといいよ」  気が付くと、ツキカゲさんに連れられ、露店のある市場の最前線――つまり御殿と市場の間にある少し広い広場に到着していた。 「もう少しかねぇ……」  ツキカゲさんは御殿の最上部あたりの霧を見つめている。  ――ボンッ! ボンッ!  すると僅かに、御殿を隠している霧の奥が複数回光った気がした。  ――パチパチパチ。  暫くすると、花火のような放射状の光線がこっちに向かって雨のように降り注ぐ。 「うわっ?!」  その光景に思わずしゃがみ込んだ。  ――シャアァァァアアアアア。  周囲には無数の光線が降り注ぐが……痛くはない。 「あぁ、ごめん愛紗。驚いたのかい?」  ツキカゲさんが心配そうに私の顔を覗き込む。 「えぇ、一瞬驚きましたけど……痛くは……ありませんね」 「あぁ、よかった。これが咲夜姫の恩恵といわれているものさ」 「御殿から出てるんですか?」 「理由は分からないんだけど、高濃度の零因子がこの祭りの時期に御殿から放出されるんだ。普通は長時間霧の中を漂って世界に充填されるんだろうけど。この場所は高濃度の零因子の恩恵を直接受けられるから、素材や工芸品の質をかなり底上げすることができるんだよ。もちろん病気や怪我の治療にもなるよ」 「なるほど。だから世界中の商人や観光客がこの場所に訪れるんですね」 「そういうことさ」  ――シャアァァァアアアアア。  話続けている間、零因子の光線は止まることなく、暫くあたりを降り注ぎ続ける。  私とツキカゲさんは座って、花火のような美しい光景を見続けることにした。まわりには他の観光客もいるので目立ってはいない。商人たちは、商いの手を止め、少しでも多くの零因子を取り込もうと素材を定期的に入れ替えしている慌ただしい様子が見えた。  そこでふと疑問がわく。 「この濃度の零因子は、みんな耐えられるものなんですか?」  確か、高濃度の零因子に耐えられない種族もいると聞いたような…… 「あぁ、御殿から放出される零因子はね。不思議とどの種族も拒絶反応を示さないんだ。きっとそれぞれの土地がもつ環境とかで零因子の性質が徐々に変わっていくんじゃないかな……」 「そんなものなんですね」 「私も根拠はないけどね。御殿からの零因子の影響で、副作用の少ない薬も作れるんだ。愛紗と出会うきっかけになった“天外”もその一つ――」 「え?」 「――あっ!」  私が少し驚くと、ツキカゲさんは口を滑らせたような顔で気まずそうに固まってしまっていた。
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