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「どうしたの? もう思いだすことはないでしょ。あの男を捕まえたのでしょう」
また窓から黄色い花を見つめる俺にミモザがふんわりと話しかけてきた。
「そう、なんだけどね」
奇妙な事件に遭遇してから、俺はぼんやりしている。
今日は川口と動物園に行く約束の日だというのに、今朝もトーストをひとかじりして、目が花に注がれている。柔らかい陽の元で咲き乱れる黄色い花へ。黄色い花をどっさりつけたミモザという樹木へと。
「キミが消えてしまう気がして寂しいんだ。だけど……」
俺が落ちこんだあの日からミモザは俺に話しかけてくれた。だから、問題が解決すれば去っていってしまう予感がしていた。でも、ミモザは心地よくて、ずっと一緒にいたい。いたいのだけど……そう思うと、深淵からの悪魔が不敵な笑みを浮かべてくる。
「あの女のようになるかもと怖いのでしょう」
うん、と俺はうなずき、マグカップに手を伸ばす。コーヒーの苦みが俺をすっきり目覚めさせてくれることを期待して口にいれてみる。
「けど、大丈夫。あなたは大丈夫よ」
まだ、ミモザの声が頭に届いてくる。
口をやけどしそうになり温かさが胃に染みただけで、簡単には覚めさせてくれないようだ。
「あの女とあなたは違うわ。あの人は薬物で幻覚を見ていたわけだけど、あなたは薬物なんて使ってないじゃない」
「そうだとしても、やがてミモザの存在は俺の中で大きくなって、現実がわからなくなるかもしれない」
もっと現実を今を感じようと、コーヒーをまた飲みこむ。けど、咲き誇った花の色彩がより鮮やかになり優しい香りが濃くなるばかり。
「大丈夫よ。私はあなたが必要とすればいるだけ。嫌ならいなくなるだけよ。全てはあなたがおぼしめすままに。だって、私は――」
「「こころが作りだしたものだから」」
そう言ってしまうとなんだかすっきりした。
ミモザはふふと、静かに笑うだけになった。
やっと俺は食欲を感じて、トーストを一枚、そしてもう一枚ミモザの分も食べる。合計二枚の食パンを今日もお腹に入れて、シンクに向かう。
台所はあの女の部屋と同じように暗くて、悪魔がでてきそうだ。でも、俺はそっちに行きたくない。だからそのために、そろそろ朝食のパンは一枚にするべきかもしれない。
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