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集合場所である動物園の正門前に向かうと、川口は俺を見つけるや笑顔を弾けさせた。いつもはきっちりと固めている前髪が、今日は春風にさらりとゆれて、爽やかな青年のようだ。いや、ようだというより、川口はまだ二十代半ばだから青年だ。だけど、職場ではなんだか貫禄があって、川口が青年であることを俺は忘れていた。
「ごめん。お待たせ」
俺は遅れて来たくせに、川口につられてにっと笑った。
「遅いですよ。人間に化けるのに時間かかったんですか。職場に来るのと見た目変わらないじゃないですか」
……あ。川口に言われて気づいた。せっかく遊びにきたのに、俺のかっこうは出勤時の冴えない私服のままだ。と言っても、地味な服ばかりしか持っていないのだから仕方ないだろう。川口を見てみれば、スタイリッシュな大学生のようだ。
「川口は今日は雰囲気違うな。おしゃれでいいな」
「だって今日は……。行きましょう」
川口は入場券を俺に渡して、足を入場口に進めた。先に購入していたことに俺は驚いた。けど、それよりも、川口が「今日は」のあとに「デートだから」とこぼしたかぼそい声が耳に引っかかってきた。
「どこに行きますか。やはり、まずは仲間に挨拶しにいきますか」
園内マップ上のタヌキの場所を川口が無邪気に指す。
さっきのも冗談だったのかもしれない。それか、聞き間違いだったかもしれない。ミモザを隠し抱いている俺はおかしいのだから。
「あ。足あとがある。足あとを追ってみますか」
地面に描かれた動物の足あとを発見した川口は、俺の返事を待たずに足あとをたどりだした。
「おいおい、休みの日に追跡捜査か」
そうぼやいた俺の声は、周りの子どもの声やサルの奇声にかき消され、川口はどんどん歩いていく。
しょうがないな。捜査ごっこに付き合ってみますか。
「足あとといえば、部屋で殺害したと自供する女の部屋からは被害者とおぼしき指紋もDNAも足あとも検出されませんでしたね」
ふと、川口はあの奇妙な事件のことを話しだした。捜査ごっこに多少うきうきして川口に追いついた俺は、立ち止まった。
あの事件は胸をえぐるようで痛い。あの女が男性といたと発言していたことは妄想だと、俺はあの現場で覚った。程度の違いはあっても自分と同じであるとわかった。見えぬ恋人といる結果を突きつけられて、怖かった。でも、ミモザはまだ俺の中にいる。
「まぁ、あの男からクスリを手に入れていた結果とはいえ、存在しない恋人を殺したと思いこむって、怖いですよね。って、安井さん、どうしたのですか」
動けない俺に不審がった川口が、心の中まで鋭く見通しそうな目で見てくる。きっと、嘘をついてもごまかせないだろう。
「なぁ川口。俺が、自分の中に恋人がいると言ったらどう思う」
……ああ。誰にも言ったことがない秘密を暴露してしまった。
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