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一足先にメロン村入りしたオロンを追って、仲間たちが彼の家に到着したのは夕方だった。
家のキッチンでは母が美味しそうなご馳走をテーブルいっぱいに用意し、使われることのなかった客間が人の気配でいっぱいになる。離れの倉庫も急遽人が泊まれるように設えた。
夕食の用意が整い、宴会のような夕食が始まった。メレは客人の間で細々と給仕して回り、可愛らしい妹だと褒めそやされたが、人見知りな性格の為、頑なに沈黙を保っている。それを温かい目でオロンのチームメイトに見守られている状況にメレは少し疲れを感じてきている。
「メレ、葡萄酒をみんなに配ってくれるかい?」
オロンが自分も肉を切り分けたり、スープのおかわりを配ったりと動き回りながらメレに頼むと、彼女は頷いて、グラスの空になった男たちに注いで回る。ふと、寡黙に食事をしている青年がいて、気になって見ていると、彼は顔を上げてメレを見た。少し顔が赤くなっている。熱でもあるのだろうか、とメレは彼に水の入った杯を持って行った。
「あの、お水ですけど、良かったらどうぞ」
声をかけると、彼は食べていたパイを喉に詰まらせた。
「だ、大丈夫ですか」
メレの差し出す水を一気飲みして、彼はすまない、と呟いた。
「あれ、聞いたことある声だ」
声に出してしまって、メレは口元を押さえた。
「そりゃ、あるだろうな」
彼は口元をナプキンで拭うと、まじまじとメレを見つめる。
「思い出さないか」
「えっと」
メレの目の前の彼は、茶金の柔らかそうな髪を短く切りそろえ、憂いのある切れ長の茶色い瞳に彼女を映している。半袖のシャツから覗く陽に焼けた逞しい二の腕に見覚えはなく、がっちりした肉体から想像できる知り合いなどいない。
見つめられて赤くなるメレに彼はにっこり微笑んだ。
「綺麗になったな、メレ」
目が回りそうになったメレは、かろうじて意識を保って、彼のとろけそうになるほど綺麗な顔から目を逸らした。
「だ、誰なんですか、あなたは」
「おいおい、本当に分からないってのか」
「おい、ジュン、メレに手を出すなよ」
他の仲間に声をかけられて、ジュンは捕食者特有の鋭い目になる。
「御冗談を。メレをからかっていいのは、この村で俺だけなんだ」
その言葉を聞いて、メレがひっくり返るほど驚いたのは言うまでもない。
「ジュン、って、あのジュン?」
天敵の登場に気が付かなかった自分を呪いながら、メレは少しずつ彼から距離を取る。しかし、その手を彼はすかさず掴んだ。
「逃げるなよ。久しぶりに会ったんだ。よく顔を見せて」
引き寄せられて狼の前のウサギの気分で、メレは恐々とジュンを見上げる。
逞しい腕の中に捕らえられ、ドキドキしてたまらない。やはりあの小柄なジュンとは別人だ。こんな綺麗な男の人は知らない。
メレは精一杯腕を伸ばしてジュンから遠ざかろうとするが、彼の体はピクリとも動かず、メレとの距離も変わらない。
「ジュン、いい加減メレに意地悪するのはよせ」
オロンがようやく気が付いて助けに入ってくれる。
「何だよ。お前は他の奴の相手をしていたらいいんだ。メレの相手はこの俺が」
メレに手を伸ばすジュンの手を払って、オロンがメレを逃してくれる。
「お前の恋人はアーニャだろう。言いつけるぞ」
「アーニャは恋人じゃないって何度言えば分かるんだよ」
不機嫌そうにジュンは言い、オロンから葡萄酒の杯を受け取ると一気に飲んだ。
「まあ、滞在時間はまだまだある。気長にやるよ」
「やらなくていい」
オロンが笑って言い、ジュンの目線は仲間の元へいく。
メレはやっと落ち着いて、キッチンへ隠れることにした。
「ねえ、メレ。オロンに聞いたんだけど、あなた、エバ杯に出たいって?」
洗い物をしている母に問われて、メレはドキリとした。母にはまだ言っていなくて、反対されると思っていたからその反応が怖い。
「いいんじゃない?エバ杯ではまだ女性が優勝したことがないのよ。お母さんはね、エバ杯こそ女性が出るべきだと思っていたの。応援するからね」
思ってもみない言葉にメレが驚いた表情で口をパクパクさせている。
「なんて顔しているの。反対するとでも思ってた?そうよねえ。この村の人って、女子っていうだけで結婚しなさいとか、子供を守るのはあなたの役目よって言うからね。でも、そんなのはその人の勝手でしょ。だからメレも、自分の好きな道を行っていいの」
まるで母が知らない人に見える。
「本当はね、お母さんも街に出て仕事をしたかった。誘われていた仕事があったんだけど、お父さん、つまりあなたのおじい様に反対されてできなかった。だから今でもおじい様とは仲が悪いんだけど」
うふふ、と笑って母はメレの頭を撫でた。
「でも、心して。信じた道を行くからには、戦う準備を怠ってはいけない。戦う相手は大きいのよ。世間の目、挫けそうになる心、批判、失敗、言い出したらキリがない。オロンにも同じことを言ったけれど、努力だけではどうしようもできないことも確かにあるの。それでも、精一杯やってみて、それでもダメだったら、そこから離れてみる。冷静な目で自分を見られるようになったら、次にどうするかを決める。そうやって、答えを出して行くのよ」
「何だか失敗するのが前提みたいだね」
「あはは。オロンもメレも不器用だから」
兄が不器用だとは思わないが、なんだか勇気が出て来た。
「頑張ってみる」
「ええ。メレが優勝したら、盛大にお祝いしましょうね」
母の言葉を胸に大切にしまって、メレは大きく頷いた。
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