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第四十三回、エバ・ローリン杯の優勝者は銀狼だった。打ち上げの宴が催され、その後数日は屋台も出ていたが、一週間も経てば、元の静かな田舎町メロン村に戻る。ただ、夏は季節柄カルロ湖で遊ぶ優雅な貴族や金持ちが避暑で来る為、宿屋はそれなりに儲かっているようだ。
メレの学校は長期休暇に入った。この夏休みを利用して、飛行機を完成させたいメレは熱心に基地で作業している。
まだメロン村に残っているオロンとジュンが手伝うこともあったし、仲間が泊まり込みでやってくることもあった。
あの、女子はスカートしか履かないのよ、と公言していた淑女エブリンが動きやすいパンツ姿で現れた時には村の噂になったが、それもほどなく見慣れた姿になっていった。
メレは細かい調整をしながら、飛行機本体を仕上げていく。意外に手先の器用なゲインがメレの指示で木を削り、微調整できたのは幸運だと彼女は設計図を睨みながら実感している。
メレ一人なら、ここまではできなかった。
美しいラインを描く細身の飛行機がほぼ完成した。
まだ生木のままだが、下地を塗って塗装して、チーム名を入れたら完成だ。
テスト飛行をオロンがいる間にしたかったので、ここまで出来て正直メレが一番驚いている。
夜、寝る前にメレは一人基地に佇む。静寂の中に虫の声が時折混じる。
「メレ、これを」
作業場にオロンが右手に缶を持って現れた。もう片方の手には酒の瓶が握られている。
「なあに?」
「塗装下地だよ。雨を弾くのと、木材の強化ができる特製品だ」
オロンは座って出来上がった機体を見つめる。昼間に仲間とプチ完成祝いをした。ジュースとお菓子でお祝いし、明日から下地の調合をしようと思っていたのだ。
「いいの?敵に塩を送って」
「当たり前だろ?そうやって、このエバ杯は栄えてきたんだよ。知らなかった?」
「そうなの?」
「そうさ。敵だけど、みんな飛行機仲間なんだ」
お互いに手の内を見せ、技術の発展が進んできた。
「ま、何が入っているかとか、詳しくは教えないけどね」
オロンはそう言って、機体を撫でる。
「正直な感想を言ってもいいか?」
「うん。遠慮なく言って」
「じゃあ、言うよ。これほどまでに美しい形の飛行機を見たことがない。そして、ここまで作れるなんて、思ってなかったから、悔しい」
オロンの目はこの機体が飛ぶところを想像している。
「ありがとう。褒めてくれて」
「お前の力が世間でもっと注目されるようになるよ。本当のお前をみんなに見せつけてやるといい」
本当の自分?
メレは戸惑ったように兄を見る。
「内気な田舎娘なんかじゃない。職人魂の飛行機屋の根性を世間に知らしめてやれ。第二のエバ・ローリンだとみんな気が付く」
「そんなに偉いもんじゃないから」
困ったようにメレはうつむいた。
夢中でやっていることを、そんな風に評価されるとは思ってもみなかった。
「まあ、お前が望む通りに生きればいいんだけど。俺はさ、国家警察にいるだろ?女性の隊員も多い。才能のある人はどんどん上に行く。それって凄い事なんだなって今更思うんだ。誰もが公平な目で評価されて出世できる組織にいて、俺は良かったなって実感する。で、ここへ戻ったら、女性は檻に閉じ込められて外へ出る事は許されない。ここでエバ・ローリン杯をやっているにも関わらず、だ。そんなの、勿体なくないか?」
オロンは酒の瓶を開けて一気に飲んだ。メレの家系は酒豪が多いので、一瓶だけでは水を飲んでいるのとそう変わらない。顔色も変えずに、オロンは立ち上がる。
「メレとこんなことを話すのは初めてだな。メレなら俺の考えを分かってくれる気がしてさ」
年上で遠い存在だった兄が自分を認めてくれていると知って、メレは感動してしまった。
「また今度ゆっくり話そう。メレの話を聞きたい」
「うん」
「それじゃ、お休み。明日は早くから作業を始めるんだろ?もう寝ろよ」
オロンは立ち去り際にメレの頭を撫でた。そこだけは妹に甘い兄の顔だった。
翌朝、メレは家の外に出ると晴れた気持ちの良い空気を胸いっぱい吸い込んで大きく伸びをした。
上を見上げると鳶が、ぴーひゅるる、と空を旋回している。
そののどかな風景を壊すように、黒い大型の二輪車が現れた。すぐに異変を感じ取って外へ出て来たのはオロンだった。黒い二輪を認めると、すぐに家に向かってジュンの名を呼び、二輪へ向かって走り出した。
メレの胸に不安が広がる。兄は見たこともないような厳しい顔つきで、二輪の運転者と話をしている。よく見ると、二輪車の運転者は国家警察の制服を着ている。
「メレ、家の中に入っていろ」
ジュンが出てきて言った。オロンのように目つきが鋭くなっている。
「嫌。ここで待ってる」
何か悪い事が起こっているに違いない。それを知らねばいけないような気になって、メレはジュンに反抗する。
「メレ、仕事の話だ。それも極秘の。お前を危険に晒すことをオロンも俺も望まない」
二の句を次げない言い方をされて、メレはうつむく。
兄とジュンの仕事が危険を伴うものだと、今更思い出す。
「メレ」
ジュンが家の玄関にメレを押し戻そうと体に触れた時、二輪車の後ろに乗ったオロンが帰って来た。
「アーニャか」
ジュンが運転手を見て唸る。
「ジュン、元気にやってる?」
運転者は女性だった。黒い制服がよく似合っている。大きな胸の膨らみに、メレが思わず自分のものと見比べてしまうほど、妖艶な彼女はメレに視線を止めて微笑んだ。
「これがオロンの自慢の妹さんね。メレ、だっけ?私はアーニャよ。よろしくね」
二輪の運転席から手を差しだされて、メレはとぼとぼとアーニャの手を取りに側へ寄った。
思ったよりも固い握手にメレが戸惑っていると、ジュンが腕を組んでアーニャを睨んでいる。
「ごめん、ごめん。ジュンの迎えの車は後で来るから。今はオロンを連れて行くわ。緊急事態よ」
アーニャは朗らかに言って、メレに会釈をするとすぐに二輪を転がして公道を突き抜けて行った。
遠くなる二人の姿に舌打ちして、ジュンがメレを見下ろす。だが、その目は見ているようでメレを見ていない。
「休暇中の俺たちにお呼びがかかるほど、緊急事態って何なんだ」
呟くように言った声をメレは聞き逃さなかった。
「ねえ、追いかける事はできないの?」
「は?何を言う。国家警察の二輪はどの車両よりも早い。だから飛脚の役割を果たすんだ。お前は邪魔にならないように家にいろよ」
難しい顔のジュンにメレは落ち込んだように肩を落とす。
兄の助けになりたいと思うことは無謀なことだろうか、とメレの落ちた肩が言っている。ジュンは優しく彼女の肩を抱いた。
「心配するな。俺の命に代えても、オロンは守るよ」
「だめ」
強い口調でメレがジュンの手を握る。
「ジュンも、死んではいけない。誰も、死んだら駄目なの」
メレの強い瞳に見つめられて、ジュンは息を呑む。
こんな顔をする娘だっただろうか。
子供の頃からメレに惹かれているジュンにとっても、今のメレの様子は心乱れるほど美しい。
「メレ、そんなに心配することじゃないかもしれない。家の中で待っていてくれるか」
「うん」
今度こそメレはジュンに家の中へ戻された。
しばらくして爆音と共に黒い装甲車が現れた。それはジュンを拾って消えていく。
何事が起ったのか、父と母が不安そうに寄り添って窓の外を見ていた。
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