0人が本棚に入れています
本棚に追加
ぴーひゅるる。
メレが空を見上げると鳶が伸びやかに青い空を飛んでいた。
森の向こうに見えるのは青い世界だ。山間の小さな国、ロベッカが誇るカルロ湖は森に囲まれた中に悠々と青い水面を広げて、空の青色とその境界線を溶かして青一色の世界を作り出す。
カルロ湖に一番近いメロン村が年に一度だけ華やかになる季節がある。この時ばかりは村に一つしかない宿屋が大繁盛し、周辺の地域から行商人が現れ屋台が出る。山々にテントを張って野営する者、別の地域の別荘から馬車でやって来る金持ち、メロン村の山村留学制度を使って滞在する者。様々だ。
四季に彩られる田舎に世界中の挑戦者が集まるのは夏。木々の緑が青々と美しく光る季節だ。
そして開催されるのはエバ・ローリン杯。
世界で初めて女性のパイロットが空を飛んだことを記念して、彼女の名前が付けられた飛行機コンテストだ。
今や飛行機は金属で作られているが、エバの時代は木で出来ていた。だからエバ・ローリン杯では木でできた飛行機を作り、その飛行距離を競う。動力は人間の手足に限られる。大人から子供まで、出場者に制限はない。まして、男女の別は問われることはない。
「メレ、ここにいたか」
木々をかき分けて兄のオロンに探し出されたメレは首を傾げた。
オロンはメロン村から離れて、ガイドゥの街で暮らしている。皆の憧れの国家警察に所属しているのだが、配属先が近くの街で家族は喜んだ。
メロン村に戻るのはエバ・ローリン杯に出場する夏だけ。五つも歳が離れているからなのか、メレはオロンと一緒に遊んだ記憶があまりない。頭が良くて運動も良くこなす兄はいつも三歩先にいる存在だ。
オロンがメレの向こうに見える青く光る湖を見て目を細めた。
「綺麗だな」
「うん。ここからの眺めが一番綺麗なんだよ」
秘密を打ち明けるように小声で言うとオロンは笑った。
「ここからだとエバ杯の飛行機がよく見えるな」
湖にせり出すようにある丘の上からエバ・ローリン杯の出場機は飛び立つ。それを確認してオロンは丘とメレを交互に見つめる。
「お兄ちゃん、何か用事だった?」
「ああ、そうそう。俺のチームの奴がうちに泊まるから、母さんが木の実のパイを作るんだってさ。だから収穫して来いって。メレに聞いたら一番採れる場所を知っているだろうから聞けって言うんで聞きに来た」
オロンは大きなカゴをメレに見せる。
「分かった。行こう」
メレは一瞬だけ丘に目をやり、山の奥へ歩き出す。
「お兄ちゃんのチームの人が泊まるの初めてだね」
いつもは山に野営している。
「ああ、今年はジュンがいるからな」
兄の親友の名前が出てきて、メレは視線を上げる。背の高い兄は見上げてくる妹の頭を撫でた。
「心配するな。意地悪しないように言っておく」
ジュンはメロン村の出身で、小柄な青年だ。そして虫に刺されやすい。今はオロンと共に国家警察に所属し、街で暮らしているが、昔はメレのことをからかってばかりいた悪ガキだった。どうしてあんな悪ガキが、誇りと気品溢れる気高い国家警察に入れたのか謎だらけだが、メレは顔を合わせることがなくなって大いに安息を感じていた。
「メレは飛行機に興味があるのか」
「うん。私、出たいの、エバ杯に」
メレが珍しく緑の瞳を輝かせて言うのをオロンが驚いたように見る。
「お前、今までそんなこと一言も言わなかったよな。知っていたら俺のチームに入れたのに」
「お兄ちゃんのチームじゃなくて、自分のチームが欲しいの」
「俺じゃ駄目なのか」
傷ついたようにオロンが言うとメレは慌てて首を振った。
「違う。お兄ちゃんは最高。でも、優勝チームに入りたいんじゃなくて、自分の設計した飛行機を飛ばしたいの」
オロンのチームは今回も優勝候補で、去年も一昨年も優勝している。
「設計?メレが?」
目を丸くしてオロンが足を止める。
それほど驚かれる事かとメレは少し傷ついた。
オロンが驚くのも無理はなく、エバ・ローリン杯は女性の社会進出を記念したコンテストなのだが、未だに女性の活躍は珍しいことで、この村は田舎なのも手伝ってか、女は家庭に入って家庭を守る存在だと思われている。
メレが飛行機の設計をするなど、とても許されるような環境ではない。そんな中で彼女が自分の想いを隠して勉強していたのだという考えに至って、オロンが涙目になった。
「お前は偉いな」
妹のことになると甘々な兄の反応にメレは一歩引く。兄も努力家だが、彼はそんなことを伺いもさせない。それに色々な才能に溢れているのだ。自分と一緒にしてはいけない、とメレは思っている。
「お兄ちゃんはどうやってチームを作ったの?」
再び歩き出しながら、メレは自分が行った勧誘のことを思い出す。
つまり、散々だった。
幼馴染の優しいエブリンには入って貰えた。でも、女の子はパイロットにはなれないのよ。だってスカートじゃ出場できないもの、って淑女のエブリンにたしなめられた。
そしてメレよりも小柄な少年バースには、舐めてんのかテメェ、と殴られそうになって断られた。
ミーヤとゲインの双子の姉弟はまだ答えは保留だが、女の子が目立つと良くないことが起こるからなあ、とジロジロと見られた。
他にもクラスの友達を誘ったが、みんな笑うだけだった。
「俺の場合はジュンと二人で先に飛行機を作ってたんだ。そしたら、いつの間にか俺もやりたいって奴が増えて、チームになったって感じだ。今年は職場の先輩も出るって言うし、ちょっと気が抜けないけど」
オロンの良い所のひとつに、人の輪の中心にいるというところがある。会話が得意で誠実で厳しくも優しい彼のいる所には人が集まる。
逆に、メレは会話はうまくなく、人見知りで、今回の勧誘も勇気を振り絞って頼んだのだが、そこはかとなく悪い結果になった。
「まあ、メレの場合は女の子だからさ、この子に何ができるのって思われちゃったんだ。でも諦めちゃ駄目だぞ。女の子だからこそできることもあるし、飛行機を作るのに男も女も関係ないことだ。それに情熱を傾けられる奴だけがエバ杯に出場できる。だから、メレも頑張ってやってごらん」
オロンに励まされて、メレは大きく頷いた。他の誰かに言われたら、何も分かってない癖にって反発するメレだが、オロンは彼女のヒーローだ。努力する大切さを教えてくれた人でもある。そんな彼に応援されたら頑張らない訳にはいかない。
「俺が使った木材が余っているから、あげるよ」
「本当?」
「ああ。家に帰ったら道具もやる」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「その代わり、一つだけ約束してくれないか」
オロンがメレの視線までしゃがんで真面目な顔になる。
「危険があると分かった時は飛行機を絶対に飛ばさない」
飛ぶ、ということは落ちる可能性があるということだ。乗り込んだ者の命の保証はない。
「分かった。約束する」
「あ、それと、試走の時は俺も立ち合わせること。二つになっちゃうけど、いいね?」
「うん、分かった」
メレの前には希望が広がっていく。
兄が応援してくれたら、きっとうまくいく。そう思った。
最初のコメントを投稿しよう!