Singin’ In The Wet Town ――看板を持つ若者――

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 夜の繁華街からでは星が見えない。星よりも私たちこそが美顔ですと言わんばかりに、人工照明が無数に貼られている。  上田章広(うえだあきひろ)はちょうど、その繁華街の中心路から一本外れたところにある高級腕時計屋の前まで来ていた。 「芸術家のふりをしたやつは、決まって他の人たちよりも子供っぽくて未熟だから。俺たちは結局この経済システムが嫌いなんだ。だから好き好んで経済の中を泳ぎ回るやつが大人なら俺たちは子供だ。でも、経済は人が作り出したものにすぎないのだから、もしかしたら物事の本質を探している俺たちのほうが成熟しているのかもしれない」  この衝動的で且つ恣意的な思想には羨望が含まれていた。というのも凛々しく腕時計屋の中で立っている同い年くらいの若い男性スタッフと自分を見比べてしまったからだ。さらに腕時計やネックレスから伸びるきらきらとした反射光と、章広が首に下げている看板からの直接光が、より一層ふたりの差異を明らかにさせていた。それはナルシストに間接照明やアロマキャンドルをどや顔で見せられ、「光にはこういう使い方があるんだ。知っておくといい」と無言で言われたときの感覚に少しだけ似ていた。  このように章広が相手の成熟さ、いや自分の未熟さを痛感しているところに、前から一台の自転車がやって来た。ガジ、ガジと金属の擦れている音がするその自転車に跨っていたのはこれまた若くて体の細い(あん)ちゃんだった。兄ちゃんは夜が更けていこうとしている時刻だというのに、ライトも付けず平然とタバコを吸っていた。  いま章広がいるところは中心路と比べると暗がりであった。だから章広の目には腕時計屋からの光とタバコの火だけが、兄ちゃんの存在を示していた。  しかし兄ちゃんはその一方を簡単に捨ててしまった。歩道に倒れた火は章広の目の前で息を引き取るかのように消えた――。 「もう、わけがわからない」  章広は混乱した。感情が上下を無視して変形した。消えた火が最後「助けて」と手を伸ばしたような気がしたが、それはもう遠い過去のことであって、気付いた時には火が消えた場所は章広の背中から五メートルもうしろだった。  初冬の冷たい風が呆然自失しながらも歩く章広の頬を擦っていった。
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