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それから俺は、自分の部屋に居付いている姿のない同居人を追い出すためにあらゆる手を下した。角という角に盛り塩をし、効き目のありそうなお札を壁という壁に貼りまくった。一応、賃貸なので気を使って養生テープにしておいた。お金を出して霊媒師にも見てもらった。けど、「この部屋には霊は居ない」とほざきやがった。「居るから呼んだんだよ、殺すぞ」と物騒な言葉が口から出そうになったことは、ここだけの話。
でも、でも、でも。何の進展もなかった。
それどころか、その「同居人」の影は、より色を強めてきやがる!
一昨日、体重計に乗ったら、百六十九センチ、五十三キログラムの履歴があった。俺の身長は百七十六センチだ! これも、「さなえ」とかいうやつのなのか? なんで無駄にスタイルいいんだよ、腹立つ。
昨日は、冷蔵庫に「さなえ」と名前の書いたプリンが入っていた。
そして、今日という今日、もう何日もろくに寝れていない俺を、洗面所でピンク色の歯ブラシが出迎えてくれた。鏡の中で、目元にくまのくっきりついた、小汚い男が眉間に皺を寄せて眼をひん剥いている。
自分の顔が、とても他人に見せられたものじゃないとか、それよりも、やり場のない怒りがこみあげてきた。
「ふざけんなっ! いるんだろ。姿を見せろ! さなえ! さなえ!」
この正月休みに入る前は、知りもしなかった女性の名前を叫ぶ。今となっては憎くて憎くて仕方のない名前だ。せっかく口うるさい両親の居る実家に帰らなくていい、気楽な正月休みだったのに。なにもかも、お前のせいで台無しだ。
呼びかけたところで、どうせ返事はない。けど、歯ブラシ立てに、ピンク色の歯ブラシは立てられたまんまだし。奴の生活感だけは、確かにこの部屋に存在し続けている。
「いったい、何なんだよ」
「どうしたの?」
背後から声がした。女の声だ。知らない女の声。
妙に艶がある声色。それでいて、俺を慕っているかのような。振りかえると、長くたおやかな黒髪を伸ばした女性が、我が物顔で俺の部屋に居た。
見ているだけで涼しくなりそうなその美貌が、たまらなく気持ち悪かった。
「さなえ、さなえなのか?」
「何言ってるの。今さら」
彼女は、あっけらかんとした態度で返してくる。もう、訳が分からなくてその場に尻餅をついた。
「ちょっと、大丈夫?」
慌てて駆け寄る彼女に「触るなっ!」と怒号を浴びせて振り払い、居間に出たところで、俺は膝から崩れ落ちる。居間の内装が、何もかも変わっていた。いや、居間の中心に置いてある座卓は、俺がほんの数日前に缶ビールやつまみを置いていたものだ。でも俺が昨夜寝たベッドはなくて、買った覚えのないアイボリーカラーのソファーが置いてあった。他にも馴染みのない家具がちらほらと。
「本当にどうかしたの? ねえ?」
彼女の声に優しさを感じ取って、自分の身の回りを囲む現実に抗うのをやめた。何もかも知らない世界で、唯一寄り添ってくれるのが、彼女だったから。
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