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朝ごはんを食べ終わって、お茶をのんで、エアコンもつけない暑い部屋で窓の外を眺めながらぼーっとして、もう十時。久美は時計を確認して、荷物をまとめて外に出る準備をし始めた。
『十時までは、自宅で学習しましょう』
中学校で配られた『夏休みの生活』の文言を律義に守って、ようやく外に出てもいい時間だ。久美はカバンの中にタオルと、塩飴と、キンキンに冷えた水の入った一リットルの水筒と、扇子を入れて、チャックを閉める。そして、
「じゃあ、行ってくるから」
居間で新聞を読んでいたお母さんに向かって、そう声をかける。
「はいはい。一時くらい? 帰るのは」
お母さんは立ち上がって、ぱたぱたと玄関までついてくる。
「うん。そんな感じ」
「熱中症には気を付けて。あと変な人について行っちゃだめよ」
「わかってるよ」
もう中学生なんだから。
「いつもの公園に行くから」
久美はさらりとうそをついて、がらがらと家の扉を開ける。途端に、わっとセミの鳴き声が波のように押し寄せてきた。そして、突き刺すような太陽の白い光も。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」
久美は足を踏み出した。日の光にじりじりと焼かれたアスファルトからむわっとした暑さが漂ってくる。まっすぐ伸びる道路の向こうに、逃げ水が見えた。
これは、炎天下だ。
久美はまたふふっと笑って、てくてくと歩き出した。
行先は、裏山の頂上近くにあるけっこう広いけどさびれた神社。一応整備はされているようだが、日中に人が来ることはほとんどない。だから久美は毎年夏休みになると、その神社で本を読んだり、ぼーっとしたりしている。そんな事なら家の中ですればいいかもしれないけど、夏の空気に包まれて、夏の風に包まれて、夏の音に包まれているのが、久美は何より好きなのだ。クーラーの人工的な風にあたっているよりも、ずっと。だから、晴れの日はいつもその神社に向かうのだ。
ほんとは、お母さんから一人で行っちゃあだめだって言われてるんだけど。
神社は山の中にある。そして人気がない。そうなると当然犯罪に巻き込まれる可能性が出てくるわけで、久美のお母さんがそう言うのも十分にうなずける話ではあるのだ。しかし久美はあの神社の雰囲気がこの上なく好きなものだから、お母さんには公園に行くと嘘を吐いて、いつも神社で過ごしている。
それに、もう中学一年生なのだ。
久美はこの頃心の中で、いつまでも自分を子ども扱いするお母さんに、少しだけとげとげしていた。
だけど、今日は、猛暑日。
久美のそんなとげとげも抜き去られてしまうくらいに空は青く澄み渡っていた。
だからきっといい日だ。
久美はそんなことを思いながら、軽い足取りで進んでいった。
裏山の神社に行くためには、千段はあるんじゃないかっていうくらい長い階段をのぼらなくてはいけない。
じわじわ、じじ。
セミの鳴き声に包まれながら、久美は一段一段をしっかりとした足取りで登っていく。毎年毎年夏休みになると、毎日毎日のぼっているから慣れたものだ。
ときどき、ムカデとか蛇が出るからびっくりするけど。
「ふう」
足を動かすたび、だんだんと高いところに来ているのははっきりとわかる。まあ、両脇を木々で遮られているから、町を見下ろすような景色が見られるわけじゃあない。でも、どんな景色が広がっているんだろうと想像するたび、木々の間からちらちらと空の青が見えるたび、久美はワクワクするのだ。
これこそが、だいごみってやつだ。
額にじんわりと汗をかく。首筋に汗が伝う。髪の毛を結んでいなかったものだから、首周りに熱気がこもって仕方がない。
久美は一回足を止めて、カバンの中からタオルを取り出した。そして首筋を、額を、軽く拭く。それから水筒を取り出してキンキンに冷えた水をぐいぐい飲んで、ぷはあと一息。
「よし」
そうして、また階段をのぼり始めた。
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