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☼2016年七月二十八日
その日久美は、夢を見た。
いつもの神社、そのベンチで、久美は誰かとしゃべっている。青く澄んだ高い空、遠くに見える積乱雲、やかましいセミの鳴き声。時折熱い空気をかき乱すように風が吹いて、でも、それは熱風となって二人に吹き付ける。そして、タバコの煙が夏の風になびいた。紫煙は久美の顔をなでていき、久美はちょっとせき込む。隣に座る少女はそれをくすくすと笑って、ぷうっと煙を吐き出した。そしてまた、久美はこほこほと涙目になりながら咳をして、隣の少女に抗議する。
『――、……』
少女は、何かを言った。それで、二人ともくすくすと笑う。
久美はカバンからお菓子の袋を取り出して、バサッと開けた。そして「たべよ?」と言って少女に差し出す。少女はうなずいて、地面でタバコの火をもみ消して、吸殻を灰皿に放り込んだ。そして、二人でお菓子をつまみ始めた。
そこで、久美は目を覚ました。がばっと身を起こして、さっきまで見ていた夢の内容を反芻する。だけど、だんだんとその内容は薄れていって、最後には、二人がお菓子を食べている光景だけが残った。
そう、昨日今近紅葉に「来て!」と頼んでいたのだ。
「ちゃんと、来てるかな」
まだ暗い部屋でポツリとつぶやいて、久美は窓の外を見る。まだ☼は登っていなくて、でも、藍色になった空が、朝が間近であることを伝えていた。
枕もとの時計を見てみる。暗くてよく見えなかったから、後ろのボタンをカチッと押して文字盤にライトをつけると、まだ四時半だった。
「ん、でも、おきよう」
すっかり目は冴えていた。それに、まだ日の登らない早朝なんていうワクワクする時間を、久美が逃すわけがない。久美は部屋の電気をつけないまま、窓辺に座布団を引っ張ってきて、桟に手をついて外を眺める。
緩やかに風が吹いて、久美の頬をなでていった。ずっと晴れだったから、夜に逃げていく熱を遮るものがなかったせいだろう、今は涼しくて気持ちがいい。そしてこの時間はまだセミたちが起きていなくて、ところどころからりー、りー、と高い鳴き声が聞こえてくる程度だ。それにこんな時間では人も車もほとんど外にはいない。ざりざりとアスファルトを踏む音が一つ、聞こえたくらい。
久美は顔を上げて、空を見た。藍色にほの明るい空には、雲の影は一つも見えない。だから、きっと今日は晴れるのだろう。
ふわぁ、と久美は一つあくびをした。そして、今日神社に何を持って行こうか考えだす。
「お菓子、は、持ってくかな。あと漫画とか? ジュース、は、ぬるくなっちゃうか……」
今近さんが来てたら、喜んでくれるかな。
なんて、久美は想像してわくわくする。だけど同時にもやもやする。だっていつも今近紅葉はぶっきらぼうにして、皆と仲よくしようとはしないのだ。だから、今日来ているかだってわからない。来ていたとしても、すぐに帰ってしまうかもしれない。もしそうすると、一人で勝手にワクワクしていた自分の気持ちはどうすればいいんだろう、と、久美は不安になってくる。
まあ、今そんな事気にしてもしょうがないや。
久美はだんだんと明るくなってくる空を眺めながら、うんうんと頷いた。
午前十時。久美はカバンに水筒と、タオルと、お菓子と、漫画と、その他もろもろを詰めて玄関の扉を開けた。ぐっと顔を引き締めて、ざり、と強く足を踏み鳴らして、まるっきり戦いに赴くような風情だ。だけど、久美にとっては戦いと言えば戦いなのかもしれない。何せ相手はあの今近紅葉だ。第三種接近くらいの心持で行かなければいけないかもしれないのだ。
今日は、ぜったい、昨日よりもしゃべってやる。
そう硬く心に決めて、久美は歩き出した。
そして、十数分歩いて、山のふもとにたどりつく。ここまでくるとセミの声は町の中よりもやかましくて、でも、森があるせいか、どこか涼しく感じる。草木の匂いが漂ってきて、これぞ夏と言った空気だ。
もう、いるのかな。
久美はながぁい階段を見上げて、唾をのんだ。昨日も、一昨日も、今近紅葉は久美よりも先に神社にいた。あのベンチでタバコを吸いながら、景色を眺めていた。
きっと、いるはず。
久美は目線を足元に移すと、一段一段階段をのぼり始めた。その足の動きは、いつもよりも、少しだけ早かった。
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