進化、止めてみた

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「・・・今回のパンデミックを受けて試算し直したところ、現在の環境下で、ウイルスが今回のような突然変異を遂げる可能性は、約十パーセントとなりました」 「無視できない数字だ、ということはわかる。続けたまえ」 「この数字はあくまでも、現状の千人が十年を過ごした時点で発生した、一度きりのテストケースからの想定値です。これが、今後どんどん移住者を増やし、その中で当然ウイルスも母数を増やしていくわけです。しかも、一定期間ではなく、永住を目的としている。その意味では、今回同様に人体に有害な突然変異種が発生する可能性は、限りなく百パーセントに近いと言ってもいいでしょう。十年もこうした事件が起きなかったことが」 「健康管理をつかさどるAIに、突然変異種の発生を予測させ、あらかじめ対処させることはできないのか?」 「何しろ、予測がつかないからこその『突然変異』ですから、現状では不可能です。膨大なテストケースを積み重ねれば、あるいは発生傾向などの糸口はつかめるかもしれませんが」 「テストケースか。何年くらいかかるものか?」 「ざっと見積もって、百年は」 「百年!」 「まず、火星上に同レベルの環境を用意する。そこでまずラットに何世代か生活させ、免疫とウイルスの情報を得る。次に、ヒトに近い類人猿を、やはり数世代は生活させてみる。そうして獲得したテストデータと、この十年間の生きたデータを組み合わせて、『火星コロニーにおける免疫とウイルス突然変異化の傾向』を予測分析するAIを開発する。これが一連の流れですね」 「聞いただけで、膨大な手間がかかることがわかるな。しかし、もうそれしか方法はないと言うのか。火星移住計画が百年も遅れたら、その間に地球上からは人が溢れ出してしまうぞ。何とかならないのか」 「・・・移住するスピードを優先させるということであれば、ひとつだけ、方法があるにはあるのですが・・・」 「言いにくそうだな。いい、まずは説明してみろ」 「これから突然変異するウイルス、すべてに対応する抗体を予め用意しておくことは、当然ながらできません。しかし、これから突然変異するウイルス、そのすべてを抹殺する抗体を作ることは、数年あれば、可能と思われます」 「なんだと、そんなことが可能なのか」 「はい」 「何かリスクがあるということか」 「ええ、そうです」 「構わん、まずは説明を聞こう」 「・・・いつどのように変異するかわからないウイルスを、それも人体に有害になるものだけを狙って抹殺するなんて抗体をつくることは、先述の通り、膨大なテストを重ねなければ不可能です。しかし、『今あるものから変異したもの、すべてを抹殺する』とプログラムした抗体を作ることは、ずっと簡単にできると思われます。しかし、それはつまり、有害無害にかかわらずということですし、対象はウイルスに限らない、すなわち、人間の細胞自体の変異にも反応し、抹殺するということになります」 「それはそれで、別の形で人体に害を及ぼすということではないのか?」 「理論上、害は出ないはずです。通常の細胞分裂や体内の活動はスルーして、何か新しい動きがあったときだけ効果が発動する、ということですから。正確なリスクは、『進化』『適応』ができなくなる、と言うことです。その抗体の影響下では、言うなれば現状維持しかできない。ウイルスも人間も、『進化する過程を一切合切、強制的に押し止める』ということになります」 「進化できなくなる、か。やはり、相当なリスクである気がするが・・・」 「地球上では、とても怖くてとれない手段です。地球の自然環境下では、ウイルス以外にも人体に常に様々な影響が及ぼされますから、それらに対応できなくなるのは致命的です。・・・しかし、物理的に完全隔離されたコロニー内であれば、現状でも、空気すべてを常時管理している環境が整っているわけです。現に、突然変異種が巻き起こる前は、どんな異常も発生しなかった。火星だからこそ、リスクは限りなく抑えられるはずです」 「なるほど。その仮説どおりのものが作れるならば、試してみる価値はあるな」 「ええ。移住者は、完全コントロール下で常時『全ての進化を咎め、抹殺する抗体』を取り込むことにより、現状維持。その一方で、時間をかけて火星の環境下での突然変異予測AIの確立を進め、ウイルスだけに対応する抗体を生み出す。この二段構えで行くことで、移住計画の遅れを最小限に留められるのではないでしょうか」 「うむ、そうだな。これがうまく行けば、もし今後他の惑星へ移住するといた際にも、同様のやり方が使えそうだ。早速、抗体の開発に取り掛かってくれ」 「承知しました」
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