芸者

3/3
21人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ
「では、ご子息を引き渡したお母様のお気持ちは……」  妾でなければ、息子を自らの手で育てることが出来たのではないか。友莉絵がそう問いかければ、返って来た答えは、随分と生臭いものであった。 「多額の手切れ金を頂いたわ。結局、父が全部、お酒と博打につぎ込みましたけど。お陰で私は、母と同じ芸者奉公。水揚げで、妻子ある男性を旦那にすることになりそうよ」  月季子も友莉絵も、それは、麻吉の母が、男性を見る目が無かっただけなのではないかと思ったが、自分達のように、身元のしっかりした相手と見合いをするわけでもないだろうからと、そこに触れることはしなかった。  月季子は代わりに、別のことを尋ねる。 「旦那を持たない芸者さんもいらっしゃるそうね」 「そんなのはごく一部よ。置屋や料亭の娘だとかで、借金が無かったり、家を継ぐために芸者になった場合がほとんどよ。第一、芸者の掛かりがどれほどだと思ってるの。着物はもちろん、芸事のお師匠への謝礼だって、全部自前なのよ。旦那でもいなけりゃ、やっていけないわ」  麻吉の言葉に、月季子も友莉絵も衝撃を受ける。しかし、そのような事情を、素人の自分達に話すのは、いかがなものなのか。 「辰巳芸者は、張りと意気が売りの粋な方々だと聞いたけれど、随分違うのね」  月季子がそう言えば、麻吉は顔色を変えることもなく、ただ、肩をすくめた。 「こんな話、殿方の前ではしないわよ。だいたい、その粋を壊すような真似をしたのは、そちらじゃない。苦労知らずのお嬢様に、少し嫌味を言うくらい、いいでしょう」 「私はともかく、月季子さんは、苦労知らずではありませんわ」  友莉絵の言葉に、麻吉は反論する。 「知ってるわよ。元伯爵の丹沢家でしょう。どこの花街も、貴女のこと狙っていたもの。元華族の令嬢が芸者なんて、これ以上の売りは無いもの。結局芸者にはならず、女学校に通って、将来有望な陸軍のお方と結婚できるんですから、やっぱり苦労知らずだわ」  月季子は、麻吉の言葉に、なるほど確かに、自分達は苦労知らずかもしれないと、納得する。しかし、だからと言って一方的に詰られていいわけではない。 「そうね。確かに私たちは何も知らなかった。でも、華族には華族の、義務があるの。父はその義務を果たせないから、爵位をお返ししたのよ」 「義務ですって。特権ではなくて」 「『ノブレス・オブリージュ』、持てる者には義務がありますの。皇族方が率先して軍務にお就きになられるのも、赤十字の活動に貢献されるのも、その信念に従ったものですわ」  友莉絵の話に、麻吉は目を見開き、態度を軟化させた。 「何も知らないのは、私も同じね。ごめんなさい。貴女方が羨ましくて、言い過ぎてしまったわ。でも、こういう生き方をしてる人間がいるってことを、覚えておいて欲しいの」 「志麻子さん、おいくつかしら」  少し、しおらしくなった麻吉に、月季子はあえて本名で呼び、年を尋ねた。絵葉書を見た時から、気になっていたのだ。 「え、今年十六になりますけど」  彼女の年齢に、月季子も友莉絵も、親近感を覚える。 「では、私たちと同じね。そうね、確かに私は、貴女だったかもしれないわ」  そうして月季子は、静かにそう呟いた。  それからしばらく後、麻吉の水揚げが決まったと、噂が流れた。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!