可愛くない足跡

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 玄関前のコンクリートに、足跡がついていた。  昨日、俺が汗水流してやっと完成させたコンクリートの道。  ちょっと洒落た感じにしたくて、デザインを長いこと考え、丁寧に丁寧に作業した。  努力の結晶とも言えるその玄関前のコンクリートに、足跡がついているのだ。 「あーもう、誰だよ」  猫や鳥の足跡なら、逆に味が出てそう悪いものではないだろう。むしろ可愛らしいとさえ思うはずだ。 「こりゃ一体何なんだ?」  だが、コンクリートにくっきりと沈みこんだその足跡は、動物のそれには見えず、ましてや靴の跡でもない。もちろん、人が裸足で踏みつけた形でもない。  その足跡は、二重丸をぐにゃりとくの字に曲げたような形をしている。くの字の向きはバラバラで、間隔も統一性がない。そして、指紋のような細かい模様がある。 「いたずらか? 折角上手くいったのに」  俺は項垂れた。  来月、奥さんが病院から帰ってくる。彼女を驚かせるために、玄関前をセンス良く塗り固めたのだ。  だがその計画が、こんなヘンテコな足跡のせいで台無しになろうとしている。 「よし。まだ時間はある。修正だ」  俺は気合いを入れ直し、そのコンクリートの道に出来た足跡を消す作業へと全力を注いだ。  次の日の朝。  足跡はまたあった。 「くっそぉ。誰なんだよ一体」  俺は苛立ちをあらわにして悪態をつく。  コンクリートは塗ってすぐ乾くわけではない。それなのに、塗った次の日には踏み荒らされている。  いや、そもそもこれが足跡なのかどうかも分からないのか。 「でも、どっかで見たことあるんだけどなあ。どこだったかなあ」  けれど、どこで見たかなど今は問題ではない。とにかくもう一度やり直しだ。  そして、今度こそ犯人を暴いてみせる。  俺はコンクリートの道を再度完成させた後、家の中からドアスコープ越しにコンクリートの道を見張ることにした。  昼になり、夕方になり、そして夜が訪れた。  夜間照明が照らす玄関前以外は、すっかり闇に包まれている。 (眠くなってきたな。今日は来ないのか?)  俺がそう思った矢先に、家の門の先で何かが動いた。  その姿は、乾き切っていないコンクリートに差し掛かるにつれて、はっきりとしてくる。  四足歩行で近づいてくるそれの手足は異様に長く、指らしきものは見受けられない。  そして、コンクリートの道に乗ったそれが足を上げた時、あのくの字の足跡がくっきりと映し出された。  肌は灰色で、ひしゃげているが雨にでも打たれたかのように湿っている。  大きな二つの目は黄色に光っている。  宇宙人だ。 「ちょっとちょっと! 何してんの!」  宇宙人の弘永さんだ。 「困るよ弘永さん! 乾かしてる最中なんですから!」  玄関口から飛び出した俺は、コンクリートに足跡を付けて歩く宇宙人の弘永さんに注意をした。  弘永さんはぬらりと顔を上げ、その首を行き過ぎなくらいに傾げる。 「コレハイッタイナンナノデスカ」  棒読みの上にカタコト。  弘永さんは最近地球に来たばかりのご近所さんだ。 「これはコンクリートです。固まるまで触ってもらっちゃ困るんですよ」 「カタマル、トハ」 「あー、完成する、みたいな。そんな感じなんですけど……。とにかく、踏まないで欲しいんです」  弘永さんは残念そうに自分の足元に目を落とした。  一体、何のために彼はこんな行動をしているのだろうか。  弘永さんはコンクリートから足を退けていく。 「ゴメンヨ。セッシャノホシニハ、コンナ素材ノモノハナカッタカラ、ツイ……」  弘永さんが住んでいたガガル星はとても小さく、そして砂が一面を覆い尽くしている星らしい。  柔らかい感触のコンクリートが物珍しがったのだそうだ。  ちなみに、"ガガル"という言葉は、それっぽく音を当てはめているだけで、本来の発音は人間には不可能なのだとか。 「ただ気になって触ってみたんですか? もう……」  そんな、"異文化に感動してしまって"、みたいな顔をされたら、怒るに怒れないじゃないか。  俺はため息を吐く。  反省している様子の弘永さんを見て、俺は仕方なく彼を許すことにした。 「もういいですよ。でも、いくらここが立川市だからって、その姿のまま出歩いたらみんなびっくりしちゃいますよ」  日本では、東京都のここ、立川市が唯一、国際宇宙法で正式に認められている、異星人移住受入地域なのである。 「タシカニ。小サイ地球人、泣イテタ」 「言わんこっちゃない」  だからと言って、堂々と母星の格好をしていては警察から注意されてしまう。 「早く地球人に擬態してくださいよ。見つかったら俺まで何か言われるじゃないですか」 「スマンネスマネン」  弘永さんはそう言って、細身の中年男性の姿に体を変態させた。少し髪は薄めだ。  俺はとりあえず安堵の息を吐く。  その直後、家の門の前で車の停車音がした。  視線を向けると、そこには一台のタクシーが停まっている。 「たっだいまー!」  なんと、来月に帰ってくる予定の俺の奥さんが、意気揚々とタクシーから降りてきたのだ。  夜であると言うのに、明るく大きな声で帰りを告げてくる。 「ど、どうしたんだ? 帰りはまだ先のはずだろ?」  俺はすかさず質問する。 「へっへっへー。検査もサンプル採取も上手くいって、早く解放してもらえたの!」  奥さんは機嫌良さげに玄関へと向かってくる。 「あれ? なんかお洒落になってる!」  早速自作コンクリートの道に気が付いてくれたのか、奥さんは下に視線をやって小さく拍手をする。 「ああ。でも、まだ乾いてないから気をつけて。明日また修正もしなきゃ」  弘永さんが申し訳なさそうに頭を搔いた。  だが、もう既に弘永さんを責める気は全くなかった。  数日ぶりに見た妻の笑顔に、俺はすっかり晴れ晴れとした気持ちになっていた。  コンクリートを修正した時のあの苛立ちは、もうどこかへ消えていた。 「いいね! いいよ! このデザイン! 特にこのガガル星人の無造作な足跡! センスだね!」 「え」  テンションを上げ、コンクリートの道をスマホで撮り続ける妻を、俺は凝視してしまった。  だが直ぐに、彼女と付き合い始めた頃の自宅デートの記憶が呼び起こされる。 『見て見て! これはメドバ星人の子供の足跡で、こっちがガガル星人!』  持ってきた分厚い資料を指さしながら、興奮状態でそう説明する彼女の姿を、俺は鮮明に思い出した。 (もう、何年も前のことで忘れてたな)  病院に行くのが嫌だと言って、憂鬱な表情をして出かけて行った彼女が、今は楽しそうにコンクリートの足跡を眺めている。  俺を恋に落とした妻の弾けるような笑顔に、新鮮な気持ちを取り戻す。  俺は弘永さんに視線を向け、気まずそうに頭を搔いた。  弘永さんはにこりと笑って、両手でガッツポーズをして見せた。  妻はまだ、夢中になってスマホのシャッターを切っている。  俺は妻の無邪気な笑顔を見つめながら、この三日間の自分の頑張りを称えた。  結果オーライだ。でもやっぱり、自分の奥さんであったとしても、異星人の感性は分からないな。    その後、弘永さんに十数歩ほど追加で足跡を付けてもらったのは言うまでもない。  
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