いとおしい

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コンコンっ! やや乱暴なノックの音のすぐ後、社長室のドアは開けられた。 見ると七星が目に涙をいっぱい溜めて怒った顔をして部屋に飛び込んできた。 そして俺の座るデスクに「ばん!!」と音が出るほど強く両手をついた。 驚きのあまり声もでない。 「―――?!」 「どーして?どうして帰ってこないの?約束したのに…!僕待ってた!」 「それは……。もういいんだよ。我慢しなくていいんだ。他に……好きな人がいるんだろう?」 「はぁ―――――????」 長い沈黙の後の心底呆れた、という顔と声だった。 七星の色々な表情を見てきたが、こんな表情の七星は初めて見た。 「僕が好きなのは誠さんだけだよ?他に好きな人なんかいるわけないじゃない!」 いつものですます調もどこへやら。こちらが素なのか? いつもと違う砕けた口調が、七星にもっと近づけたようで嬉しい。 それにどさくさ紛れの七星からの告白。 こんな形で聞きたかったわけではなかったが、俺が一番切望していた言葉だった。 でも、本当に? 本当に七星は俺の事が好き…? 「僕は誠さんを愛してるの!誠さんだけを愛したいの!誠さんは僕の事嫌い?だから帰ってこないの?だから約束破ったの?」 七星にぶつけられる激しい言葉(ねつ)の全てが俺の事を愛してると言っているようで、あのαの事は見なかった事にしたくなる。 だけど…それではダメなのだ。 俺の事を好きだと言うのなら、俺は七星の手を離さなくていい。 お前を逃がしてやらなくてもいい。 七星と一緒にいてもいい。 ――なのに、だから、だからこそほかのαの存在が不安で不安でたまらない。 七星の好きを信じたいのに、信じられないんだ。 ぐっと締まる喉でなんとか声を絞り出す。 「―――あの日…七星はαと……抱き合っていたじゃないか…」 「ん?――αと抱き合って…?」 う――――ん?と本当に分からないのかしきりに首を捻っている。 「マンションの前で…」 「あ!」 どうやら思い出したようだ。 ぽんっと手を打つ。 そして急に笑い出した。 「あはははは!」 「なっ…七星??」 「だって、あれ弟だから。登戸一星(のぼりといっせい)。確かにαだけど、一つ下の甘えん坊でまだまだ子どもだよ。僕が急に婚約して家を出て行っちゃって寂しいって突然訪ねて来たの。誠さんが帰ってきたら紹介するつもりだったよ?」 「――え?嘘…」 「僕は嘘はつきませんよ?もしましたし」 言外に俺の約束破りを責めるようにギロリと睨まれる。 「――ついでに、思ってる事言い合おう?誠さんは我慢しすぎだよ。はい、それじゃあ誠さんからどうぞ」 急に話を振られ慌てるが、いい機会だと思った。 色んな事を隠したまま一緒にいてもいいわけがない。 俺は10年前の前の婚約者が親友だった男に奪われた話をした。 でも、その二人は好き合っていて両親が勝手にした事とはいえ最初に奪ったのは自分の方だった事。 そうは言っても心を許していた二人から裏切られたと感じた事。 ショックのあまりΩのフェロモンが分からなくなった事。 両親が煩いから適当に番を持とうとした事。 俺の話を黙って聞きながら七星の表情が曇っていく。 「今も…そう思ってるの?」 七星が引っかかったのは適当に番を持とうとしたってところだろう。 俺は七星を安心させるようにゆっくりと、だけどしっかり首を左右に振って見せた。 「いや、今は七星の事が好きだ。七星じゃないと俺はダメなんだ。親とか関係なく、適当なんかじゃなく俺は七星と番になりたい」 俺の言葉ににっこりと微笑む七星。いつもの笑顔にほっとする。 「その人たちについて何も知らない僕がこんな事を言うのはなんだけど、誠さんと僕を会わせてくれた事は感謝してるよ。誠さんを傷つけた人たちにこんな事思っちゃって…ごめんなさい」 そう言って申し訳なさそうに目を伏せた。 俺はそんな事ない、という意味を込めて立ち上がり七星の頭を撫でる。 七星はそれをうっとりと目を閉じて受け入れてくれる。 あぁ、なんて幸せなんだ。 七星に言われて気づいたが、そうだな。 七星と会わせてくれて、俺もあの二人には感謝しないといけない。 そう思うと二人へのわだかまりのようなものは雪が溶けるようにすーっと溶けていった。 七星はまるで俺の魔法使いみたいだな。 どんなに苦しかった事でも、どんなに悲しかった事でも、今は全てが嬉しくて愛おしい。 俺は七星をぎゅっと抱きしめた。 抱きしめる腕に力が籠る。 七星も俺の背中に腕を回し、抱きしめてくれる。 そして徐に話し出した。 「次は僕の番だね。僕ね、αとかΩとかより自分が愛しいと思える人が大事なんだ。あのお見合いは誠さんのお爺ちゃんが道に迷ってる所を助けたら、孫とお見合いしてみないかって言われて、あのお爺ちゃんの孫なら愛しいと思えるかもしれないって思って受けたんだ。実際会ってみたら本当に誠さん素敵で、すぐに好きになっちゃった。今までこんな気持ちになった事なんかなかった。婚約が決まってすぐに一緒に住めて嬉しかったけど、あんなに大きい部屋に一人は寂しいよ。カードも僕欲しくなかった。突き放されてる感じがして嫌だったんだ。だからあのカード一度も使った事ないよ。でも誠さんからのプレゼントだから嬉しくて机に飾ってあるんだ。カードのうさぎのイラストが愛嬌があって可愛いんだよ?へへ」 部屋に案内した時の浮かない顔は寂しかったのか。 カードを渡した時の微妙な顔も…。 七星は贅沢なんか望んでいなかった。 金なんか欲していなかった。 最初からただ純粋に俺を好きでいてくれたんだ。 なるほど七星はお爺さまがたくさんのお見合い写真の中に忍び込ませたラッキーカードで、俺はそれを見事に引き当てたって事か。 「そうか…」 それしか言葉が出なかった。 言葉の代わりに俺は七星を再びしっかりと抱きしめた。 一度は奪われたと思い手放そうとした温もりが、今確かに俺の腕の中にあった。 幸せでしあわせすぎて涙が零れた。 「あとね、誠さん僕のフェロモン感じてるよ?」 「―――え?」 「だってね、よく部屋中僅かにいい匂いがするって言ってたでしょう?僕芳香剤なんか使ってないし、勿論香水もつけてない。それ僕のフェロモンだよ?今も同じ匂いするでしょう?僕誠さんがフェロモン嗅げないって知らなかったから、誠さんの照れ隠しかと思ってた」 と、はにかむ七星。 確かにいい香りがすると自分のフェロモンを褒められたら、好きだ愛してると言われているようなものだろう。 今更ながら自分のやった事に照れを覚え頬が赤くなる。 そして、ごくりと唾を飲みこみ改めて匂いを嗅ぐ。 すんすんと七星の首のあたりを嗅いでみると確かにあの香りがする。 では本当に…。 「―――!」 俺は声もなく泣いた。 やはり愛しい人の香りは嗅いでみたかったのだ。 あの優しい甘い香りが七星のフェロモン……。 いつも仕事で疲れた心と身体をリラックスさせてくれた。 俺は知らない間に七星に包まれていたんだな。 優しく愛されていたんだな。 「七星、俺は七星を一生愛するよ。愛おしい俺の大事な人」 「誠さん、僕もあなたを、あなただけを一生愛します」 そして初めての口づけを交わした。 繰り返される口付け。七星は段々と力が抜けくたりとしてきて、完全に俺に身を委ねてしまった。 ぶわりと広がっていく甘い香り。 腕の中の七星の身体は熱く、呼吸も短く荒い。 布が肌に当たるだけで感じてしまうのか小さく「あ…っ」という艶めかしい声も聞こえ始める。 ヒート!? 俺の、俺のせいか!七星のフェロモンを嗅げて嬉しくて自分もフェロモンを出してしまった。 七星はそれにあてられて……。 なんて馬鹿な事をしてしまったんだ!―――こんな場所で…! こんな危険な場所で…! 会社(ここ)には沢山のαがいる。 Ωのヒートにあてられればどんなαであっても我を忘れて目の前の御馳走に手を伸ばしてしまう。 そんな事故を防ぐ為に予めうちで働くαには毎日抑制剤を飲むように義務付けてはある。かく言う俺もちゃんと毎日飲んでいる。 だけど、甘い。このフェロモンは甘く俺を誘惑する。理性が焼き切れてしまいそうだ! 他のαだって―――――。 奪わせない。 たとえどんなαであっても。 親兄弟、親戚、親友、誰であっても今度だけは、 俺だけの愛しい人を絶対に奪わせない!!
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