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1. 特級魔術師の日常
【掃除】。生きていく上で欠かすことのできない行為。主に箒や掃除機、雑巾といった道具を用いて行う作業。この行為がなされない場所で人が生活していくことは不可能に近い。また、掃除とは清潔。清潔とは清浄。清浄とは“不浄と無縁”ということ──。
ここ日の国では、清潔にされていない場所には“悪い気”が溜まるといわれており、そこには“そういった者たち”が集まりやすいとされている。
「なんとも馬鹿らしい話があるものだ」
読書家のナチュリ・トトは、行きつけの古本屋の隅で埃にまみれていた手帳をめくり、感慨深げに呟いた。
本でできた要塞のようになっているカウンターから店主が不思議そうに顔をのぞかせる。
ナチュリ・トトは、腰まで伸びた長い髪をはらい、誤魔化すように一つ咳をした。決して著者を馬鹿にしたわけではないのだ、と店主に訴えるように。さすれば、わかっているという風になじみ客の彼女に微笑んで店主は本の影に引っ込んだ。
「・・・そもそも掃除に自分の時間を費やすとは、なかなか暇を持て余した人種のようだ」
ぐっと細めた小声でさらに呟いたナチュリ・トトは、目の前を飛んでいくハタキに「おい」と声をかけた。
ハタキは、彼女が持つ埃まみれの手帳を見て驚いたかのように飛び跳ねると、全身を震わせながら埃を払い落としていく。半径一メートル四方に埃が舞うこととなったが、これでページを捲るごとに指を鳴らして塵を落とす必要はなくなった。ハタキは満足げに一回転すると、次なる掃除場所を探して飛び去った。
「お気に召すものがありましたかな?」
「!」
いつの間に来たのか、傍で柔和な笑みを浮かべている店主にナチュリ・トトは思わず手帳を落としそうになった。
コホン、と高い咳をする。
「こ、この本をいただこう。なかなか興味深い文献だ」
「かしこまりました」
購入が確約された手帳を背伸びして受け取った店主は、シルクのズボンがすれる僅かな音だけを鳴らしてカウンターへ歩いて行く。固い木の靴を履いているというのに、足音はしない。その代わり、店主が歩いた跡には光の粒子が足跡となって続いた。
自分の身長の3倍あるカウンターの椅子に飛び乗った店主は、慣れた手つきで手帳に紐輪をかけていく。
一つ結び目ができるごとにキラリと紋章が浮かび上がるのは、この手帳が新たな持ち主と契約した証だ。
「毎度毎度トト様は、いつも私の知らない特別良い本を見つけていかれる」
「先見の明があるからな。というより、自分の店に置いてある本の把握くらいしておくべきではないか」
「ほほほ、ごもっともです。いえ、しかし・・・」
彼女の行きつけでもあるこの古本屋は、浮浪著者──所謂アマチュア作家が無断で自身の著書をおいていく。そのため、帳簿に記載されていない作品が全体の7割を占めていた。
元々は店主の古本好きが高じて始まった店。正規の商品自体は少なかった。
「だから陣を張れというのだ。ここはセキュリティが甘すぎる」
商店は、ほとんどがあらゆる事件防止のために防御魔法陣を張り巡らしている。その魔法陣があれば、盗人や愉快犯などによるある程度の事件・事故を防ぐことができるのだが、彼女がいくら陣を張ることを勧めても店主は一向に首を縦に振らなかった。
「世に生きる全ての人の善悪を判断することが困難であることと同じように、世に生まれる特別良い本が誰の手によって描かれるのか、わかったものではございません」
ナチュリ・トトのサインが手帳の表紙に溶けて消えたのを確認した店主は、「どうぞ」と、そのいくつもの国を渡り歩いた古記を彼女に手渡した。
「そも、ただの古本好きの老人が集めた本ばかりを置いた店になぞ、あなた様はいらっしゃらないことでしょう」
「・・・・・・・・・」
丁寧に紐掛けされた手帳を厳かに懐へしまう。
ナチュリ・トトは、前言撤回をするがごとく、ゴホンと大きめの咳払いをした。
「ごもっとも、だ」
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