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橋本さんは、柔らかい表情で自分のお腹を見ながら言った。
「私にはこの子を堕ろすなんて選択肢、初めからなかったんです。好きな人の子供だから……この子さえいてくれれば私は幸せなのに、あのときは不安で、一番大事なものを見失っていました」
大事なもの……見失う……
私は心の中でつぶやいた。
「こんな流れで佑太君と一緒になることになってしまいましたが……今とても幸せです」
もう、橋本さんの瞳は揺れてなかった。真っ直ぐと先を見据えるような目をしていた。
*
会社に戻る電車の中で、私は橋本さんの話を思い返していた。
本当にビックリした……
衝撃すぎる話の内容に、美味しいと勧めてくれたランチの味は覚えていない。
――何なの佑太は!もう!
私は、深いため息をついた。
でも……橋本さん、すごく変わったな。
今日の橋本さんは、迷いのない、とても強い目をしていた。
――私もあんな風に変わりたい……
『あのときは不安で、一番大事なものを見失っていました』
橋本さんの言葉が頭をよぎった。
5年前、私にもあった、拓海との幸せが……苦しいだけじゃない、拓海と一緒にいて幸せだと思えることが本当はたくさんあったのに。
自分の作った闇のせいで暗くて何も見えなくなってしまった。
幸せはたしかに存在していたのに。私は見失ったんだ。
最後は自分も見失い、拓海との幸せを自ら放棄した。
今の拓海となら、過去を乗り越えられると思ったけど……それだけじゃダメだ。
私が強くならないと。
不安に負けない自分に。
幸せを見失わない自分に。
だから、もう泣いてはいけない。
拓海とやり直せるなら……これからはずっと一緒に笑っていたい……
拓海のことを考えたら、拓海の顔を見たくなった。
会社の最寄りの駅に着いた。私は急いで駅を出る。
会社に向かう足取りは自然と軽くなっていた。
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