06 2/14【葉山】

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06 2/14【葉山】

 ※今回も、二人が付き合う前のお話しです。  人生において、自分には全く関係の無いイベントというものがある。  オレの場合、恋愛に関するイベントは全てそうだ。  そもそも、恋愛の最初の段階である「告白」から縁遠い。  と言うか、する気もない。  だから、クリスマスやバレンタインといった、いかにもカップルで過ごしましょう的なイベントなんて一生関係の無いものだと割り切っていたから何の感慨もなかった。  今日までは。  そう、本日は2月14日。  そこかしこでチョコが飛び交う日なのだ。  例年なら「ああバレンタインか」くらいで終わる、いつもと同じ一日の筈が、今年は少し様子が違う。  発端は、昼前だった。  昼休み直前とはいえ、勤務時間中に大きな袋を持って社内を練り歩く数名の女性社。  社員一人ひとりに笑顔で声を掛けては、何かを手渡している。  有志の女性社員たちがチョコを配っているのだ。  これは毎年恒例で、そういう事を撤廃している会社もある中、ウチの会社は未だに存続していた。  あくまで有志なので、やりたい人がやっているだけ、という認識のようだ。  とは言え、お返しする方はそういう訳にもいかない。  こちらも毎年代表者を決めて集金し、女性社員たちへ還元している。  彼女たちは「お返しなんていらないですよ」とは言うけれど、本当に何もしなかった場合を試そうとする者は今のところ誰もいないという。  オレの所にやって来たのは、総務課の前島さんだった。  掌にのるくらいの大きさの箱を、笑顔で手渡してくれた。 「葉山さんもお一つどうぞ」    確かオレと同じくらいの歳だったと思うが、はっきりとした顔立ちと隙の無い仕事ぶりから、近づきがたい印象のある女性だ。  と言っても、悪い印象はなく、むしろ仕事においての信頼感は半端無い。  この人の言う事は全てが正しい、と思わせる説得力がある。 「ありがとう。毎年大変ですよね」 「いえいえ、みんな楽しんでやってるんで」  百貨店の催事場をはしごし、予算、見栄え、味等を吟味して総合的に判断しているのだと楽しそうに語ってくれる。  いや、それはどう考えても大変だと思う。  彼女たちが本気で楽しんでいるのなら、口出しする事ではないけれど。 「ところで、雪橋さん今日はお休みですか?」  向かいの席の雪橋がいない事に気付き、辺りをきょろきょろと見回している。  机の上は整理されていて、鞄もないから休みだと思ったようだ。 「いや、今、出張に行っていて、夕方には戻ると思いますけど」 「そうなんですか。それなら、葉山さんにお願いしてもいいですか?」  前島さんは少し残念そうに目を伏せた後、すぐに気を取り直したようにオレを見た。  妙齢の女性に「お願い」なんて言われると、身構えてしまう。 「これ、要冷蔵なので冷蔵庫に入れておきますから、雪橋さんが戻ったら渡してもらえます?」  前島さんは、雪橋用のチョコの箱を持ちながら何でもないことのように言った。  確かに、暖房が効いた室内で机の上に要冷蔵のものを放置はできない。  雪橋が戻って来る正確な時間は分からないから、目の前に座っているオレに頼むのが手っ取り早い。  間違ってはいない。  しかし、そこには重大な問題がある。  オレが雪橋にチョコをあげる、という構図が頭の中に出来上がってしまった事だ。  例えオレが用意したものでなくても、今日この日に好きな相手にチョコを渡すなんて、頼まれたからと言っても平常心でできる自信がない。  痛い奴だと分かっている。  男が男に渡したからといって、何かが始まる訳がない。  しかも、ただの代理だ。  雪橋にしてみれば、オレなんかから貰いたくないだろう。  それでも、雪橋にチョコを渡す、という難解なミッションを突きつけられてかつてない程の緊張が走る。 「でも、せっかくのバレンタインなんだから、オレよりも前島さんから貰った方が雪橋も喜ぶと思うんですけど」 「そんな事ないですよ。誰から貰っても味は同じですから」  やんわりと断ったつもりが、遠回りすぎて全く伝わらなかったらしい。  前島さんの身も蓋もない言葉に反論する事も出来ずに、引き受けざるをえない流れになっていた。 「それ、本当に美味しいんで、冷たいうちに食べてくださいね」  軽やかな足取りで、前島さんは次の配給に向かって行ってしまった。
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