巴と山吹

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 巴の脳裏に、海野の嫡男幸広と交わした会話が甦る。 ――偶然にしては、出来過ぎておるやもしれぬな  幸広は確かにそう言った。  だから巴は、彩女を山吹の側につけたのだ。  唐糸は、巴の心を、あの日山吹と交わした会話を知っているのではないか、山吹の身辺に、小室に通じる者がいるのではないか、そう疑った。彩女は、特に気付くことはないと文に書いた。  しかし……その文の最後には、何と書かれていたか。『海野の館へ出入りする物売りの少女』と親しくなったと、そう書かれていた。  その文を受け取った時、巴はまだ都に馴染めずにいた。それで頭が一杯であった。だから、気付くことができなかった。  いくら、海野の館に出入りしているとはいえ、山吹の身辺に仕える彩女と出入りの物売りとでは、それほど早く「親しい」間柄になる程の接点がない。「親しく」なるには、どちらかが意図的に、相手に近づかなければいけない。  彩女が、巴の頼みを実行するため、物売りに探りを入れる可能性はある。しかし、出入りの物売りは葵だけではない。早い段階で特定の一人と親しくなれば、却って、他の者達への探りが入れづらくなる。  だから、その物売りの少女が、意図を持って彩女に近づいた可能性があると、気付くべきだったのだ。 「唐糸殿自ら、物売りに身をやつしていたとは」 「その方が、話が早いもの。だから私、部屋に閉じこもってることになってるの」  義仲の嫡妻は、結局山吹に決まった。しかし、重大な問題があった。それで急遽、巴が呼び戻された。 「でもね、父上はどうしても私を冠者殿の嫡妻にしたいの。それが無理なら、巴殿のお役を私に。だから……厩で六郎殿が巴殿を庇ったって知って、焚き付けたのよ」  しかし、それだけでは親忠は動かなかった。  巴が承知なら、自分が口を出すことではないと突っぱねたのだ。  そこで『葵』が隙を見て山吹に近づき、巴とのわだかまりを解くには、自分から会いに行ってはどうかと、その供には親忠がいいと提案したのだという。 「確かに、六郎殿と私が結ばれるようなことになれば、山吹殿の話が白紙に戻るか、もしくは唐糸殿の出番になる、というわけか」 「ええ。でもね、よく考えたらそれって、私が不幸よね。嫡妻になっても、棟梁の娘じゃないもの。側女が諏訪の棟梁の娘なんて、嫡妻なのに側女に遠慮しなきゃいけないの。そんなの嫌。だったら最初から三番目がいいわ。気楽だし、変装してお役に立てるなら、冠者殿も大事にしてくださるでしょう。嫡妻になったら、変装して抜け出すなんて無理よね。もちろん、巴殿の代わりはもっと嫌」 「確かに、」  唐糸の遠慮ない言葉に、巴は自嘲気味に笑った。 「ごめんなさい。でも、巴殿はずっとお側にいられるじゃない。嫡妻や側女が供をできない時も……」  取り繕うような唐糸の言葉に、巴は、他に方法が無かったのだ、と心中で呟いた。
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