7人が本棚に入れています
本棚に追加
ふいに、周囲が騒がしくなった。行き交う松明の明かりに、馬の駆ける足音、互いに呼び合う声。それらに混じり、巴は、自分を呼ぶ声があるのを聞いた。妻戸を開き、廂から蔀戸を跨いで簀子縁に出た。
「巴、無事であったか」
そこに、義仲がいた。松明が照らす顔を、見るまでもなかった。紛う事なき、義仲の声であった。
「冠者殿……何故、ここが……」
「私が、お知らせしたの。今井殿にもお知らせしたのだけれど……冠者殿の方が、早かったようね」
背後から、唐糸の声がした。落合の義仲と、土岐の兼平。どちらが先に着いてもおかしくはない場所ということならば、遠山荘の他はない。
「ここは、遠山荘ですか。一体、どなたの……」
「滋野に心を寄せてくださる、坂本の長者殿のお屋敷よ」
「小室殿が、そのような伝手までお持ちとは」
遠山荘との関係は、偏に中原家の抱える問題である。兼遠が苦心しているというのに、荘内の長者と誼を通じる小室家の手腕に、巴は驚く他はなかった。
「此度のために、父から話を通したのだけれど……まさか、娘の私が翻意するとは、思いもしなかったでしょうね」
唐糸は誇らしげな様子で、楽しそうに笑った。
程なく、山吹達を伴った兼平が到着し、夜明けを待って、落合へ向かうことになった。
いつの間にか唐糸は、『葵』の姿に変装している。今後も情報を集める上で、彩女達に正体を知られるのはまずいのだ。
それに、彩女にとってはもちろん、『葵』にとっても、互いに大切な友なのだと言う。正体がわかれば、友を失うことにもなる。
何より彩女のことを思い、巴は『葵』の正体について口を閉ざすことにした。
「巴、今さらだけど……本当にごめんなさい。それと、ありがとう」
落合の屋敷に着くと、巴の居室を山吹が訪れた。深く頭を下げる従姉妹を、巴は慌てて起こした。
「山吹殿。顔を上げてください。謝られたり、お礼を言われることなど、ありませんから」
「いいえ。だってこのまま私に月のものが来なければ……他の、滋野の娘が産んだ御子を、私が嫡子としてお育てしなければいけない。そんなの無理よ。でもね巴、あなたなら……あなたが産んだ御子なら大丈夫、お育てできるって思えたの。本当はこんなこと、頼める立場じゃない。私のために、犠牲になってもらおうなんて、虫が良すぎるわよね」
山吹にしては珍しく、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「私は、自分のために受け入れたのです。犠牲などではありません。ですが……一つだけお尋ねします。何故、私なのですか」
最初のコメントを投稿しよう!