山吹と巴

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 数日の後、海野の館。兼遠の呼び掛けにより、主である海野幸親を中心に、根井(ねい)小室(こむろ)祢津(ねづ)望月(もちづき)など滋野に属する家の当主が顔を揃えた。今の時期は、それぞれに持つ領地の管理で忙しい。それを押しての評定である。 「向こうに、神託でも持ち出されたら敵いませんな」  そう言ったのは、祢津であった。祢津の本家は滋野の中でも有力な家だが、諏訪神党に属する分家もあるから、先方の事情にも通じている。 「では、やはりすぐにでも山吹殿と」 「そうするしかあるまい」  望月の言葉に、神妙な顔で幸親が同意を示した。愛娘に婿を迎えるとなれば、親として複雑な思いもあるのだ。 「冠者殿のお気持ちは……」  ややあって、同席を許されていた兼光が口を挟んだ。  彼とその父だけが、義仲と巴の思いを知っている。加えて兼光は、山吹の心をも察していた。 「何を言う。冠者殿とて、望むところであろう。海野の婿殿とあれば、お客人ではなく、畏れながら我らのお身内。元より二心などは持たぬが、お家の再興のため、ますますの忠義を尽くそうぞ」  豪快な声で兼光を遮ったのは、根井行親(ゆきちか)。行親の長男小弥太行忠(こやたゆきただ)や、六男楯六郎親忠(たてろくろうちかただ)もまた、義仲の幼馴染みであり、兼光や兼平とも親しい。 「冠者殿のためには、諏訪も必要じゃが……こちらにご嫡男が産まれた後でよい」  小室の当主、光兼(みつかね)が呟く。策謀家で、滋野の中でも煙たがられているが、戦ともなれば、その戦術に頼むところは大きい。  ともかく、早急に義仲と山吹との婚儀を調えることとし、この日の評定を終えた。 「巴には、すまぬことをした」  評定を終えた兼光が、巴に頭を下げた。 「もとより、決まっていたも同然のことです」  兼光の報告がなければ、これほどまで早く、義仲と山吹の婚儀が決まることはなかった。義仲が巴をと望んだ以上、覆ることは難しいにしても、もう少し、時間があってもよかった。  しかし兄は、自らの義務を果たしたに過ぎない。だから、謝ることなどないのだ。  何より諏訪が動き始めた以上、滋野が手を拱いているわけにはいかない。それは巴も、承知のことであった。  その時、海野の下女の、巴を探す声が聞こえた。顔を見せると、山吹が呼んでいるという。巴は心の内に、鉛のように重いものが広がるのを感じた。息苦しさが込み上げ、手足の先から体温が抜ける。巴はそれらを振り切るように、すぐに行くと返事をした。 「無理をするな」  兼光の低く穏やかな声に、奪われた体温が仄かに戻る。年長のこの兄は、昔から微かな変化を、心の動きを察してくれるのだ。 「ありがとうございます、兄様」  巴は、兄の気遣いに感謝し、自分は大丈夫だと笑顔を作って見せると、急いで下女の後を追った。
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