巴と山吹

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「ねえ巴。巴は、『源氏物語』の明石の君を、どう思う」  山吹は視線を外し、遠くを見つめる。「明石の君」に、巴は都の二人の女性を思った。 「私は都で、二人の女性にお会いしました。お一人は、宮様の御子を産み、母とは名乗らず、御子にお仕えする女房殿。もうお一人は、御摂録様の御子を産み、御子を北の方に預けられた御方。どちらも御子の御将来を思われてのこと。明石の君も、同じかと……」  都で出会った、若狭と四条の君という二人の女性は、巴には大きな指針となった。産まれてくる子と自分自身のために、後悔のない選択とは何か、考えさせられた。 「明石の君はいいわ。引き下がればいいんだもの。でも、紫の上は違う。夫と別の女性との間の子を、我が子として育てなければいけない。その生母は、自分が認める相手じゃなきゃ、耐えられない」 「山吹殿……」 「私、やっと気付いたの。巴が好き。憧れてて、信頼してる。もっと早く、気付けばよかった……いいえ、認められなかった。ごめんなさい。でも結局、今までで一番、我が儘ね。私の代わりに、冠者殿の御子を産んでください、なんて。でも、あなたにしか頼めないの。たとえ、巴の冠者殿への気持ちに付け込むことになっても。だから私、巴を問い詰めたのよ」  山吹の言葉に、巴の胸が熱くなる。 「それは私も同じ、我が儘なのは私です。冠者殿のお気持ちを突き放して、忠義に徹したなら、こうはならなかった。もう少し経てば、山吹殿にも月のものが来るでしょう。諏訪の話が正式に決まるまで、待てなくもない。でも、私は引き受けました。私は、自分のために、山吹殿の事情に付け込んだのです」 「巴……」 「それに、冠者殿が御上洛なされば、山吹殿とて嫡妻ではいられなくなります」 「都に、女三宮がいらっしゃると……」  女三宮とは、『源氏物語』で光源氏に降嫁した内親王である。晩年の光源氏の、正妻となった。紫の上はあくまで正妻「格」であって、正妻ではなかったが、女三宮の降嫁によって、その不安定な立場を改めて認識させられる。 「私が、その種を蒔きました」  巴は、母の知己按察使の誘いで上洛した。  按察使は、義仲の噂を聞き、巴を馬場殿の女房に推挙した。  その馬場殿で、巴は義仲の妹宮菊に仕えて信頼を得、異母兄仲家の知遇を得た。頼政と仲家の後ろ盾があれば、義仲上洛の折に、しかるべき家の娘との縁談も進むであろう。  それは、義仲が都で名を挙げるために、必要なのだ。その娘の身分は、山吹よりも遙かに高いだろうから、山吹は嫡妻ではいられない。  義仲に従って上洛するのなら、その娘にも仕えなければいけない。だから巴は、義仲の妻や側女になるわけにはいかない。  将として仕えるためには、その立場は邪魔になる。
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