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「あら、巴。来たの。さすがに来るとは思わなかったわ」
巴が参上すると、山吹は心底驚いた様子を見せた。山吹の声には、驚きを通り越して、呆れさえ見える。
「何の、ご用でしょうか」
自分で呼んでおいてそれはない、巴は思った。思ったが、表には出さないよう注意を払い、用件を聞いた。
巴とて、できれば山吹に会いたくはなかった。だが、この時期に対面を避ければ、いらぬ勘繰りを呼ぶことになりかねない。だからこうして、呼出に応じた。
「冠者殿と、私の婚儀が決まったの。もう、知ってるかしら」
「先程、兄から聞きました。おめでとうございます」
祝辞を述べたはずのその声は、驚くほど感情が無かった。
「それじゃあ、話が早いわ。お祝いしてくれるって、言ったわよね」
明るい声だった。
慕っている相手との婚儀に、心が弾むのも無理はない。
しかし山吹の声は、不自然な程に明るい。何かを、覆い隠そうとしている。
「それは、もちろん……」
山吹の言う「お祝い」とは、祝辞ではない。では、祝宴への列席だろうか。否、それは無理だ。いくら武芸が男子に劣らぬといっても、巴は女子。宴席では手伝いに駆り出されるから、顔を出すことはあっても、正式に席に列なることはできない。
それは、山吹とて承知のはずだ。
「私ね、欲しいものがあるの。巴にしか、できないことよ」
巴は訝しんだ。
自分が持っていて、彼女が持っていないものといえば、弓矢に刀、馬具、漢籍くらいしか思いつかない。しかし、それらを山吹が欲しがるとは思えないし、巴でなくても用意ができる。身の回りの調度品や衣などは、彼女の方が、よほど気の利いたものを使っている。
物では、ないのかもしれない。そう考えが及んだ時、山吹の唇が、動いた。
「山吹殿は、何と」
重い心を引き摺ったまま下がった巴を、兼光が待っていた。兄の顔を見た巴は、話が途中であったことに気付いた。呼び出されたのは、ほんの数刻前のはずだが、兄と話していたのが、もうずっと前のように感じる。
それだけ、山吹との対面は、巴を疲れさせていた。
「特には、何も……」
巴は、上手く言い繕う言葉も見つからず、ただ曖昧に返した。
「言いたくないなら、無理に話せとは言わんが……山吹殿のことだ。冠者殿とのことで、何か言われたのではないか」
やはりこの兄に、隠し事はできない。巴は、山吹に「お祝い」が欲しいと言われたのだと、打ち明けた。
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