山吹と巴

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「巴は、どうしたいのだ」  話を聞いた兼光の視線が、真っ直ぐに巴を捉える。 「私は、冠者殿のお側にお仕えできれば充分です。それ以上は、望みませぬ」  巴の答えは、多分正しい。  模範的だ。  巴の立場では、そう答えるしかない。  しかし、自分の心に嘘を吐くことと、自分の想いを認めた上で諦めることは違う。自分の想いを封じ込めてしまうと、前に進めなくなる。  だから兼光は、妹には自分の想いに素直になって欲しかった。 「山吹殿の言う『お祝い』を、差し出すことができるのか」 「もとより、私などが持たぬものです」  核心を突いた兼光の言葉に、巴が一瞬、言い淀む。 「本当にそうなのか。冠者殿は、そうは仰らなかっただろう」  義仲は確かに言ったのだ、「巴がいい」と。 「少しくらい、自分の気持ちに素直になってもいいのではないか、巴」  兼光の大きな手が、巴の華奢な肩を叩いた。 「冠者殿とも山吹殿とも、一度、正面から向き合え。逃げていては、何も変わらん。いや、結果は変わらぬだろうが。だが少なくとも、心を乱すようなことは、無くなるかもしれぬ」  温かい声が低く響き、巴は、心の疲れが癒えるのを感じた。 「兄者は、巴が可愛くないのですか。冠者殿の思いはわかりきっている。もしこれで、山吹殿との話が進まなくなれば、巴が責められます」  部屋を出た兼光の前に、兼平が現れた。立ち聞きしていたのだろう。日頃は何かと突っ掛かる兼平だが、実のところ、一番妹に甘い。 「そもそも、兄者があんな話を知らせなければ……」  なおも続く弟の苦情が自身の行動に波及し、さすがに兼光は異を唱えた。 「俺とて、伝えたくはなかった。だが、冠者殿が諏訪に婿取りされるのを、指を咥えて見ていろと言うのか。それでもし、向こうに先に男子が産まれたら、どうする」 「それは、そうですが……」 「諏訪との話を伝えたのが、俺でよかったじゃないか。そうでなければ、お前は伝えた者を逆恨みしそうだからな。この分だと、俺のことも恨んでいるだろうが」 「兄者……」  兼平は兄の軽口に、先程の失言を流してくれたのだと知り、苦笑いを浮かべた。 「巴のことは可愛い。できれば、幸せになって欲しい。だからこそ、巴は素直になった方がいい」 「しかし、下手をすれば、巴が冠者殿を誑かしただのと中傷されかねません」 「その時は、俺達二人が盾になればいい」  そう言って兼光は、滅多に見せぬ笑顔を浮かべた。
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