68人が本棚に入れています
本棚に追加
「この家も売却するんだ」
私は何かで叩かれたようなガンとした痛みを頭に感じた。
この家は母と過ごした思い出がたくさん詰まった場所だ。周囲を見渡せば優しかった母を感じることができる。
「そんな……」
この家から離れるなんて嫌、嫌すぎる。
私の声はひどく掠れ震えていた。
「すまないひばり……」
しばらく沈黙が続き空気が重く沈むが、それを変えたのは義母だった。
「ひばりちゃん、落ち込まないで、大丈夫よ!ここより狭くなるとは思うけど、綺麗なところを探せばいいわよ、ね?」
義母は明るい声でそう言いながら、父の手の甲に手を置いて、父を上目遣いに見た。
父は困り顔を作りつつも、義母に優しい表情で笑いかける。
私の眉間にはしわが寄ったはずだ。
もう父は母のことなんて何とも思っていないのだろうか。
遠回しに古い家と言われたことに、私は傷付いているというのに……。
でも私には何の力もない。何も言えない。
下唇を強く噛み締めて、俯くだけだった。
それから数日後、父は知人を頼ってシンガポールで仕事をはじめると言ってきた。
義母と弟も一緒に連れて行くと言った。
父は私にも一緒に来るか、と聞いたけれど、私は頷かず大学を理由に残ることに決めた。
父はそれを少し心配したけれど、反対はしなかった。
私がいない方が上手くいく。
私だけじゃない、父もそれをわかっていた。
最初のコメントを投稿しよう!