清らかな睡り

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「ああ、藤代家の話かい?母が城で下働きをしていてね……わたしもよく城へ遊びに行っていたよ……」 「その一家の中に姫はいましたか?」 「懐かしい……奥方様が本当にお優しい方で………母にも私にもよくしてくださった」 沖法師と豆吉の向かいに座るのは、小柄で皺くちゃの老婆だ。 この老婆の話を聞くためにやってきたのだが、いかんせん話が噛み合わない。 話の切れ目に質問をするも、老婆には沖法師の声が届いていないようだった。 ぽつりぽつりと、からまった糸をほぐすように記憶を口にしていく。 「お婆は高齢のため少々話が噛み合いませんが、この里の昔を知っている唯一の人です」 そう里長は穏やかに言うが、沖法師も豆吉も顔を見合わせて困り果てる。 老婆はゆうに九十を超えているのだろう。 先程から話の矛先を封印された鬼へ向けようと試みているが、少々どころか全く話が噛み合わない。 それでもなんとか情報を得ようと、老婆が反応する"藤代家"の話題を中心に根気よく声をかけ、老婆の話に耳を傾け続けた。 半日がかりでようやくわかった情報は以下の通りだった。 数十年前この地を治めていた藤代家は代々鬼祓師としてこの一帯を守っていた。 当時の当主には二人の息子がいたようだが、姫がいたかは分からない。 ある日、部下の謀反によって一族は皆殺しにされ、唯一生き残った長男の紀一が当主として藤代家を継いだ。 紀一は元々気性の激しいたちだったらしいが、家族を亡くしてからはより一層気難しくなり、近しい部下以外は城へ近づくことが出来なくなった。 老婆と母親もその時期から城勤めには行けなくなったと言う。 それでも紀一は里の者の声に親身に寄り添い、藤代家の勤めをしっかり果たしていた。 進んで争い事を起こすこともなく、近隣の国々とも良好な関係を築いており、亡国の姫を妖から匿うなどをしていたらしい。 その姫はたいそう美しく、姫を嫁に取ろうとする妖たちから狙われていた。 姫を匿っていた地下には結界が張ってあり、どんなに強靭な妖も決して、踏み入ることはできなかった。 しかしある晩、大雨によって増水した泥水が地下へと流れ込み、姫は命を落としたそうだ。 いかな鬼祓師の家系とはいえ、天災には手も足も出なかった。 姫亡き後、姫と恋仲の噂のあった紀一は、日に日に衰弱していった。 立て続けに愛する人を亡くしたためか、それとも姫の無念がそうしたのか、紀一その後すぐに亡くなり藤代家は滅んだ。 手巾で涙を拭いながら、老婆は話した。 当時幼い少女だったはずの老婆だが、相当な恩義を藤代家に感じているらしい。 老婆の話は信憑性に疑問を感じるものの、有力な情報に違いはなかった。 家中に夕焼けが差してきた頃、法師は礼を言い豆吉と共に屋敷を後にした。 * 鬼の話は聞けなかったが、その亡くなった姫というのが、豆吉の出会った姫である可能性が高い。 豆吉の話によると、山にいた姫は人並み外れた美しさだったという。 妖が美しい娘に執着するのは珍しい話ではないのだ。 姫の魂を己がものとするために、鬼は山へと甘んじて封じられたのだろうか……。 不明な点が多いが、豆吉の懇願に負けた沖法師は 、一か八か姫に外の食べ物を食べさせることにした。 死者が現世の食べ物を口にできるのか…仮に口にできたとして豆吉の推測が正しかったのなら、鬼は里はどうなっるのか……。 有能な先代と先先代が行わなかった無謀を、未熟者の沖法師と豆吉が今やろうとしている。 沖法師は一晩中胃がキリキリと痛むのをなんとか堪え、悩みに悩み、そして答えを出した。 豆吉に目眩しの術を施した芋を持たせ、山へと向かわせる事を決意したのだ。 姫を放ってはおけない。 どうするかは姫の選択に任せてみようと沖法師は考えた。 とにかく手を差し伸べてみるのだ。 お節介だったのならそれでいい、しかし救いを求めているのなら、沖法師は自分にできる事をしなければならない。 睡眠不足の真っ赤な目を豆吉の目線に合わせ、沖法師は言う。 「いいか、豆吉。お前とわたしは二人でやっと半人前なんだ。無理は決してしてはいけない、危険だと判断したらすぐに戻ってこい」 「おう」 逃げ帰ってきてしまった事を後悔している豆吉は、恐ろしい鬼の棲む森へと再び足を踏み入れる覚悟を決めていた。 泣き腫らして腫れぼったくなった目に強い意志を漲らせて、豆吉は威勢よく山へと向かっていく。 沖法師はその背中へ向かって手を合わせた。 ーーー先代、先先代……お二人が犯さなかった未知の危険を犯す事をお許しください。……どうかわたしの相棒をお守りください。 * 室内には老婆と里長の二人が残されていた。 法師たちが去ったあと、再び話し始めた老婆の声に里長は耳を傾けているのだ。 少しでも有用な情報を得られれば、法師たちの役に立つに違いない。 「……次男の勘解由様もとても優しい方だった…。紀一様の手前泣き喚くことはできなかったけれど……。そうか…あの時はまだたったの……15歳か………」 老婆はそう呟いた…。
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