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第一章 作り笑顔とひきかえに
『最後はこの曲、The Last Summer.DJ ROMIOがお送りしました。』
優しい声とともにスピーカーから流れ出るメロディー。初めて聞く曲なのにどこか懐かしく感じてしまう、歌詞などわからないのについ口ずさんでしまう。心が癒される曲調…
暑い夏が直ぐそこまで訪れている夕暮れ時、佐田麻依(さだまい)は夕飯の支度をしながらいつものFMラジオを聞いていた。
『まだ夏も始まっていないのに、最後の夏か…』
つい独り言を呟く。
ー痛いっ。
次の瞬間、左の薬指を深く包丁でざっくり切ってしまった。
じんわりと血がにじみ出てくる傷口を、自分の唇で押さえ、溢れ出そうになる涙を堪えた。
…きっと覚えてなんかないだろうな。
切った傷下の飾りだけの指輪を眺めていた。
すると突然、家電が部屋に鳴り響いた。
『夕食いらないから、今日も仕事で帰れない。』
ガチャッ。
一方的にきつい言い方をされると電話さえも切られてしまった。
『だったらもっと早く言って…』
切れた受話器に向い怒りを露にすると、作りかけていたサラダをゴミ箱に叩きつけた。
もうこんな生活…
だけど八月三十日までは我慢しよう、その日までは。
指輪を見ながらそう自分に言い聞かせた。
髪をとかし一つに束ね、薄いピンクに光るグロスをポンポンとリズム良く付ける。
化粧したって仕方ないのはわかっている。
気分転換がしたい…
ドレッサーに映る自分を暫し眺め思った。
『ジュリエット行くよ、ママと行こう。』
茶色に光りすんだ瞳を持つ犬を連れ、夕焼けが沈み掛けた砂浜を歩き、散歩する。
『今日もご主人様は帰ってこないって。』
そう話し掛けながら。
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