episode5

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「どうして、髪を切ったの?」  最初に何から話せば良いか分からず、ポツリと呟くように言ってみる。扉が壊れたので、佐和さんの家に一晩だけ止めてもらう事になった。貴重品と着替えだけを持ち、彼の部屋へとお邪魔する。床に座ると、彼もぴったりと肩を合わせて座る。「もう大丈夫だよ」と言っても、離れようとはしなかった。 「まあ、……色々と」  誤魔化すように言ってから、肩に頭を摺り寄せて来た。まるで猫みたいに可愛いけれど、いつもの余裕と貫禄が見当たらない。 「なんか、佐和さんじゃないみたい」 「俺だよ」 「……髪、撫でても良い?」 「うん」  ゴロゴロと喉を鳴らしそうだな、と黒髪を指ですく。心なしか、猫っ毛になった気がした。 「髪の色、そんなにしょっちゅう変えて大丈夫?」  髪質のダメージとは縁が無さそうだけれど、毎週のように色が変わってしまうと、心配せずにはいられなかった。 「平気平気」  真面目に聞いてないな、と話を止める。聞きたい事は山ほどあるのに、どれも直前でつっかえてしまった。 「どうして……分かったの? その、私が…駒田先輩に……」 「音がしたから」  そう言って、壁の方を指差す。 「ゴンって重い音がして、何かあったと思ったんだ」 「ヌンチャクの音だけで、分かったの?」 「高橋さんはいつも静かだから、ヌンチャクの音でも、かなりの驚きだったよ。それに、叫び声も聞こえたし……」  明かりが点いていなかっただけで、佐和さんは隣にいたのだ。咄嗟に駆けつけてくれたのだと思うと、心が満ちていく。 「本当に、その先輩に何もされてない?」  彼は何度も同じ事を聞く。その度に私は頷いた。 「うん。されてない」 「言いにくい事でも、ほんの些細な事でも……」 「大丈夫」  軽い沈黙の後、意を決して尋ねる。 「…あのね、聞きたいんだけれど」 「………うん」 「さっき、私をみつきって呼んだよね」 「……」 「私が高橋光希って知ってたの?」  返事はない。寝息が聞こえて来たので、もしや狸寝入りかと思ったけれど、本当に眠ってしまったようだった。肩に乗った頭に、そっと頬を近づける。彼の丸いおでこをぼんやりと見つめ、それから今日の出来事を振り返った。 先輩を殴った時の佐和さんの顔は、まるで別人のようだった。いつもの愛らしさや女性みのある中性的な雰囲気は一切なかった。そして今、隣で眠る彼にも、女性らしさを感じない。ただ髪を切っただけとは思えないような、男らしさが見えている。美術館に展示されていた美しい彫刻が、息をし始めたように。突然動き出したのは、本来の顔。一瞬にして季節が過ぎ、殻を脱いだ蝶が羽ばたいた。 私も少しは睡眠を取ろうと目を閉じる。けれど、そのタイミングで一滴の本音が落下した。 「あのさ」  佐和さんの目がうっすらと開く。 「もしも自分が女の子なら、もっと楽だったんじゃないか。……1年ぐらい前までは、そう思ってたんだ」  瞼が上がり、長い睫毛が動く。 「……小学5年の時に、親の離婚がきっかけで転校した。その先で、津島さんにスカウトされて。芸能界に興味はないかってね」 「津島って、元マネージャー?」 「うん。君は容姿が整っていて、他にはない華がある。演技の勉強をすれば、きっと人気俳優の仲間入りだってさ。まあ、安い口車に載せられているとは持ったよ。けれど、母の勧めもあって、事務所に入ることにした」  彼が初めて明かす、私の知らない城田柚のその後である。じっと耳を澄ませ、話の続きを待った。 「そこそこ大きな事務所で、はじめは期待されていたんだ。俳優なんて全く興味無かったけれど、他にやることもないし、やってみよう。単純な動機でレッスンを受けて、オーディションも受けて。経験を増やす為に、エキストラにも何度か参加したなぁ。……まあ、テレビに出るどころか、オーディションにも一度も受からなかったけれど」  自嘲気味に笑う。今の彼は、昔に戻っているのかもしれない。 「俺みたいに顔が良くて、華のある人間は、他にも何百人もいると知ったよ。俺だけが特別じゃない。デビューも出来ないのに、期待にも応えられないのに、もう事務所にいる理由もない。退所しようとしていた時、ふと社長から言われたんだ」  柚。お前、髪を伸ばしてみないか?  男性の長髪は、不潔だとか怖いとか、なかなか良い印象をうけない。けれど、俺の場合は骨格や顔立ちが中性的な分、本当に女性のようになった。それを気に入ったマネージャーから、今度は化粧もするように言われ、鍛えすぎて筋肉質にならないように、体の管理もするように言われた。  最初は女みたいな自分が、気持ち悪かった。でも、これで俳優として頭一つ分抜けられると思った。……けれど、社長は言った。 「お前は、俳優には向いてない。アイドルに転向した方が良いだろう」  その時、裏切られたと思った。この時点で事務所に入り、すでに6年が経っていた。事務所が押していたのは、清純派で少女漫画の相手役のような男子だった。俺に役なんて回って来ない。ある意味、個性が強すぎたんだと思う。だから、アイドルになるように言われた。 「じゃあ、今までの6年間は何だったんだって、正直怒りと落胆が混ざって、自暴自棄になった。……漫画喫茶で、毎日だらだらしていた時、近くの公園から音楽が聞こえて来たんだ。それが、奏多たちだった」  奏多、といわれて、あの帽子とマスク姿の男性が思い浮かぶ。彼の話を始めると、さらに眉間に深い皺が刻まれた。 「彼らは観客のいない舞台の上で、歌って踊って……見ていて、同情したくなる有様だった。素人の俺でも分かるぐらい、下手糞だったから。……けれど、不思議と勇気づけられたんだよね。俺がぐずっている理由なんて、あいつらに比べれば下らないと思った。そこで、ほんの気紛れで声を掛けたんだ。俺も入れてくれって。まぁ、当然津島さんは猛反対したけれど。でも、ずっとアイドルになりたくないと言っていた俺が、やる気を出したんだ。説得を続けて、ようやく認めて貰った。……条件付きでね」 センターは、柚でいく。他は柚より目立つな。  事務所にメンバー全員を入れる上での、最低限の交換条件だった。 「それで、メンバーと喧嘩をしたの?」  私の質問に、彼は首を横に振った。 「喧嘩の方がまだ良かったよ。メンバーは皆、デビュー出来るなら、それで十分だと言っていた。本心は全く教えてくれなかった。それが今から、1年前の話。でも、その時からかな。俺と他の奴の間に、歪みを感じたのは」  ある時、佐和さんは言った。髪を切りたいと。 「もう俳優志望じゃないし、歌と踊りで勝負するって決まったんだ。もう解放してくれと頼んだ。……でもさ、反対したのは社長じゃなくて、メンバーの方だったんだ」  奏多さんは言ったらしい。 「そんなことしたら、お前をメンバーに入れた意味がなくなるだろ」  そう言われ、佐和さんはショックを受けた。 「奏多は、本当に俺が女だと思ってたんだ。……少し考えれば分かるのに。他のメンバーからも、俺をずっと女として見て来たから、急に髪を切らないで欲しいと言われた。……Lyricに入れてくれたのは、仲間と認められたからだと思っていたけれど、違っていたんだ。その時から思うようになったんだよ。どうして俺、ここにいるのかなって」  女性的な自分しか求められていない。こんなの、本心じゃないのに。 「脱退すると決めた時、真っ先に留めて来たのは奏多だった。ここにいて欲しい、お前がいないと駄目だってさ。普通、嬉しいはずなのに。奏多が俺を見る目は、ずっと女性を見る目で。あぁ、こいつ、男の俺を好きになったのかと悟ったよ」  奏多さんがしがみ付いてきた。好きだと本音を暴露された。初めて出会った時、顔を見て一目惚れだったと打ち明けられた。その全てを知った時、もう仲間ではいられなかったという。
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