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「花鳥風月展、ですか」
「えぇ。近世から現代にかけての、花鳥画をメインに据えて、特別展を開催するんです」
今日の手伝いの説明をしつつも、学芸員の女性の目は、何度も佐和さんの方へと向いている。無意識だろうが、彼の容姿に見惚れるのも、仕方がないと思った。まるで歩く美術品がやって来たようだと、大袈裟に言っても可笑しくない。
「それで、主に何の手伝いをすれば良いですか?」
続きを促すと、女性は咳払いをしてから真面目な顔つきに戻る。
「高橋さんにはお客様のご案内と、ワークショップのスタッフをお願いします。佐和さんは荷物運搬の補助と、会場設営をお願いします。まずは佐和さんに詳細をお伝えしますね」
待っている間、ぼんやりと館内を見回す。平日という事もあり、来館者は少ない。特別展は明日からなので、余計に少なく感じる。ただ、ロビーにはずっと賑やかな声が響いていて、地元の小学生が社会科見学にやって来ていた。大きく荘厳な空間に、興奮を抑えきれないようだ。
「高橋さん」
「え?」
佐和さんがこっちを向いていたのに気づかず、つい間抜けな声が出る。
「呼んでるよ」
どうやら佐和さんの方の説明は終わったらしい。
「あ、うん。今行く」
「昼休憩に入ったら、また連絡するよ」
そうやって背中を向けて小走りで去っていくのを、ふと見やる。私達はずっと、この関係のままでいても良いのだろうか。
「高橋さん、良いですか?」
「あ、すみません」
「高橋さんには、先ほど説明した通り、主にお客様のご案内を担当してもらいます。あと、今日は小学生たちが体験に来ているので、ワークショップの方も手伝ってください」
細かい指示についてはメモを取り、最後に名札を首から提げる。
手伝いに来たからと言って、必ずしも展示品に触れられるわけではない。実は少し期待していたけれど、どうやら無理そうだ。資格は大学4年間で取得したものの、正式な学芸員としては未熟である。気安く美術品に触れられるはずもなかった。
「よろしくお願いします」
同じように手伝いに来た学生が、頭を下げる。
「よろしくお願いします」
見ると、名札には堀北と書かれている。おかっぱ頭に丸眼鏡を掛けていて、化粧っ気もない。ぽつぽつと鼻の頭にそばかすがあり、垢抜けない雰囲気に、どこか親近感を覚えた。
「高橋さんは、大学生ですか?」
急に名前を呼ばれて驚く。彼女の声は、少し擦れていて低いので、妙な圧迫感があった。
「はい、院生です」
「じゃあ、先輩ですね。私、4年なので」
年下とは思えない程、土足で踏み込んで来るので、戸惑ってしまう。
「今日は、彼氏と来たんですか?」
「えっ」
「朝見かけたんで。まあ、仕事をしに来ているのに、私情を持ち込むなとか、イケメンの彼氏を見せびらかすなとか、そんな事は思ってませんから」
「あの……怒ってます?」
「いいえ、全然」
尖った鼻先をむけ、ツンとしている。口調の荒い所は、どこか宮瀬先輩に似ていた。
「あのお、大人2人なんだけれども……」
「こんにちは」
腰を曲げたお婆さんと、白髪の生えたお爺さんが、ゆったりとやって来る。品のあるご夫婦で、朗らかな雰囲気に包み込まれていた。佐藤のおじちゃんと、鈴木のおばちゃんを相手にしているお陰か、ご年配の方と話すのには慣れている。なるべくゆっくりと館内の説明をし、中へと誘導した。それを見ていた堀北さんは、褒め言葉を口にする。
「へぇ、慣れていますね。何度か手伝いに来ているんですか?」
「まあ、それなりに」
すると再び沈黙がやって来る。お客さんはその後、まったく来ない。
「さっきの続きですけど」
おかっぱ頭の毛先が、まるで刃物のように鋭い。彼女の性格をそのまま表したようだった。
「彼氏にいくら、貢いでいるんですか?」
「貢ぐ?」
「顔が良い男はプライドが高い。それなりに価値のあるものをちらつかせないと、言う事なんて聞きませんから」
「そんなことありませんよ。彼には貢いでなんていません」
「そういう無自覚なのが、怖いところです。彼にコントロールされているとは知らず、捨てられた時に、やっと理解するんです」
堀北さんは、どこか掴めない人だ。自論を述べると没頭するタイプのようで、私の意見など耳に入らないようだった。
「手を繋いだぐらいで、浮足立たない方が良いですよ」
「…え、どうして私達が、手を繋いだのを知っているんですか?」
美術館に来てから、一度もスキンシップは取っていない。
「駅ですよ」
「駅?」
「あなた方2人が、電車の中で仲良さげに話しているのを、見かけたもので」
それからずっと、後ろにいたのか。全然気がつかなかった。
「不快に思ったのなら、すみません」
「不快かどうかの話ではないです。手遅れになる前に、助言をしているんです」
分厚い眼鏡を掛け直し、彼女は鼻を鳴らす。細かい分析をするほどに、堀北さんも佐和さんが気になっているようだった。
「私と彼は、恋人じゃないですよ」
「そういう見え透いた嘘は結構です」
「そうじゃなくて……」
たった今会ったばかりの人に、こんな話をしても良いのか悩む。彼女も悪い人ではなさそうだけれど、怪しい雰囲気が前面に出ていた。
「ただ、安心するから隣にいるんです」
すると、彼女の目の色が変わった。嫌味を含んだ顔つきの中に、驚きが窺える。
「……末期ですね。それはとても危険な状態ですよ」
ここからさらに自論に熱が入り、なんとなく身構えてしまう。私は今日何しに来たんだっけ、と原点回帰しそうになった。
「実は私も、あなたと同じようにイケメンの彼氏がいました。ミスターコンで準グランプリを摂った、自慢のカレでした」
「へぇ、素敵じゃないですか」
「でも、中身はクズ男。私はまんまと金づるにされ、都合の良い女止まりで終わりました」
「そうだったんですね」
「だから、高橋さんを見た時、既視感を覚えたんです。このままだと、私と同じ末路に向かうに違いないと思いました」
だから佐和さんと私が目についたのだろう。彼女の握りしめた拳は震えていた。
「もっと私が可愛ければ、違っていたのかも。そう思う自分が嫌で……。こんな自分が大嫌いなんです」
たしかに、彼女は私と似ている。ただ疑問なのは、初対面にも関わらず、そこまで深く踏み込んだ話をしても良いのかと、多少の居心地悪さを感じずにはいられなかった。
「その彼と付き合っていた時は、楽しかったですか?」
「そりゃあ、自慢の彼氏でしたから。家族にも友達にも、ミスコン2位だって鼻が高かったです。私まで大学の有名人になった気分でした」
もしも自分が彼の立場ならどうだろう、と考えてみる。自慢の彼氏。ミスコン2位。2つのレッテルによる栄光は、その人を輝かせる事も出来るけれど、負担にもなりうる。
「堀北さんは、いくら彼に貢いだんですか?」
「そりゃあ、ウン十万ですよ。服に鞄に、食事代に、全部カッコいい彼の為に、プレゼントしましたから」
堀北さんの元彼がどんな人か、分からないけれど。もし彼女が、自慢の彼氏像を作っていたのならば、きっと別れた理由は別にある。もっと可愛ければ変わったかなんて、何の根拠もない。そして私も、今の曖昧な関係に縋りついているうちに、気づけば佐和さん自身を見られなくなるかもしれない。彼を受け入れるとか口だけ言っておいて、ズレが生じて手放すのかもしれない。
「ありがとうございます」
お礼の言葉を述べると、堀北さんは拍子抜けした顔をした。
「良い助言を貰えたと思って」
「そ、そう。ならよかったです。はっきり彼に言った方が良いですよ」
「はい。お陰で決心がつきました」
すると彼女は尖った鼻を、上にあげてからフフンとらした。
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