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お昼までに来たお客さんは、合計で10名ほどだった。博物館は毎年赤字続きで、ここにスタッフもボランティアが半分以上らしい。特別展が開催されれば、来館者数も伸びるだろうが、裏では厳しい経営難が続いているらしい。
お弁当を開いたタイミングで、佐和さんが水を買って来てくれた。館内は飲食禁止なので、外にある公園で食べる。もうすぐ夏だけれど、幸運にも今日は涼しかった。
「化粧、もうしてないの?」
「うん」
彼は元々素顔に近い化粧だったので、一目では分からない。
「まあ、日焼け止めは塗ってるけどね」
何気なしに彼の頬に触れようとするが、すぐに視線を感じて手を止める。誤魔化すようにほうれん草の和え物を口に放り込んだ。
「彼女、俺たちと同じ手伝いに来てたんだね」
佐和さんは横目に堀北さんの方を見る。どうやら気づいていたようだ。
「知ってたの?」
「駅から付けてきてるのは、知ってたよ。事務所の人間かと思って警戒していたけど」
違うなら良かった、と口角を上げる。まだ監視されているのかと、不安が顔に出てしまったのか、彼は取り繕うように微笑んだ。
「じきに終わるよ。もうあっち側には戻らないし」
「本当に、未練はないんだね」
「うん。俺がいなくたって、Ly-ricは売れている。心底ホッとしているよ」
爽やかな横顔を見つめ、その先の景色を想像してみる。目標はあったけれど捨てたと、御朱印巡りの時に言っていた。彼の見つめる先に、新しい夢はやって来るのだろうか。大学に通い、新しい道を見つけるのだろうか。
「何? 俺の顔じっと見て」
「ううん。佐和さんの顔を見てたわけじゃないよ」
「じゃあ、何を見ているの?」
これから先のこと。と、口にする前に、キスをされる。外国人が、挨拶にするのとよく似ていた。
「あーっ、チューしてる!」
どこからかひょっこりと現れ、小学生の男の子が、鼻水を垂らして私達を指差した。あまりに声が大きいので、周りの人に聞こえたのではないかと、慌てて否定しようと試みる。しかし佐和さんは、至って冷静だった。
「そうだよ。君も好きな子にチューしないの?」
「えーっ、えーっ、やだよ」
もじもじと服の裾を引っ張り、少年は顔を赤くする。そこへ先生がやって来て、「こうき!何しているんだ」と少年を呼んだ。
「あっ、先生だ。じゃあね、お兄ちゃんたち」
投げキッスのジェスチャーをしながら去っていく男の子に、目を細める。
「可愛いね」
「うん。可愛い」
佐和さんは子供が好きらしい。少年を見る目が、とても温かかった。
「子供、好きなの?」
「うん。学童施設の手伝いとかもしてたしね」
意外な一面があるものだ。
「後で特別展観に行こうよ。さっき聞いたら、閉館前の時間なら良いって許可もらったからさ」
「うん。行きたい」
「……」
「「あのさ」」
声が重なる。佐和さんが遠慮して、先に話すように促してくる。箸を止め、それから目を閉じた。
「私、小学生の時に、ある同級生をいじめていたの」
彼の顔が驚きに満ちている。緊張しているようにも見えた。
「自分のことしか考えていなくて、私より可愛い子が大嫌いだった。だから、可愛いっていう理由だけで、何も知らない転校生をいじめる事にした。……すごく後悔している。結局彼に謝れず、今日まで生きて来た。……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
深々と頭を下げ、そして上げるタイミングで目が合う。
「私、佐和さんが好き」
「……」
「好きになる資格なんてない。許されるはずもない。なのに、私は……」
「みつき」
佐和さんは何かを言う準備をしていた。
「……俺は佐和柚であって、もう城田柚じゃない。けれど、あの頃の少年の気持ちを代弁していうなら…」
はにかむような笑顔には、嘘が見えなかった。
「僕の方こそ、ごめんねって言っていると思う」
チャイムの音がする。もう昼休憩が終わったのかと、佐和さんが腰を上げた。まだ話は終わっていない。整理がつかずに固まっていると、どうやって体を動かせばいいのか分からなくなってしまった。
「そろそろ行こう、みつき」
手を差し伸べられて、ようやく脳から指令が伝達される。彼の手を取り、立ち上がろうとする。まるで宙に浮いたようにふわふわとしていた。
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