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「私の助言、全然通じていなかったみたいですね」
ワークショップの手伝いの合間に、案の定堀北さんから嫌みを言われた。公園での光景を見ていたようで、何の反論も出来ない。
「面食いは、後悔しますよ」
「そうですね」
「どれだけカッコよくても、年取ればみんな同じです」
「そうですね」
「聞いてますか? 高橋さん」
私が彼を好きになったのは、確かに容姿に惹かれたからだ。でも実際、たまたま彼が、美人だっただけかもしれない。もしもの話を考えながら、佐和さんに言われた事を、ずっと反芻していた。どうして彼が謝るのだ。私が全部悪いのに。私が彼を追い詰めて泣かせたのに。
するとそこへ、大きな声が響いた。子供の泣き声に、咄嗟に体が動く。どうやらハサミで指を切ってしまったようで、痛いと泣いていた。他の小学生が、何だろうと好奇心で騒ぎ始めるも、学芸員の女性が声を掛けて静かになる。男の子はまだ泣いていたけれど、何か様子が変だった。
「高橋さん。救護室に、この子を連れて行ってもらえる?」
「はい、分かりました」
手を引いてあげるけれど、椅子にしがみ付いて動こうとしない。仕方がないので抱っこしすると、甘えるように首にしがみつく。小学生でも、まだお母さんに甘えたい年ごろなのかなと、懐かしむように背中を撫でてあげた。
救護室で簡単な手当てをしてあげると、ようやく泣き止んだ。けれど顔には苦悶の表情が浮かんでおり、ぐっと何かに耐えている。指をぎゅっと握ったまま眉間に皺を寄せていた。「どうしたの?」と聞いても、答えてはくれなかった。
「あれ、さっきの小学生たちは…」
ワークショップに戻ってみると、すでに団体の姿は見当たらず、どうやら置いて行かれてしまったらしい。先生一人ぐらい残ってくれれば良かったのに、と急いで連絡するように頼む。しかし、男の子は私の足にしがみ付き、首を横に振った。離れないで、と無言の訴えを聞き、視線をそっと合わせる。少年は口を使わずに、目で何かを伝えようとしていた。
「どうしたの?」
もう一度尋ねてみるけれど、やはり何も言ってくれない。目元は真っ赤に腫れていた。
「あれ、高橋さん、その子……」
堀北さんが片付けを終えてから、やって来る。「どうやら、置いて行かれたみたいで」と伝えると、彼女が代わりに質問してくれた。
「君、名前は?」
「……」
「何年何組?」
「……」
「担任の先生の名前、言える?」
「……」
どの質問にも答えてくれない。ただ聞き取れないのかと解釈したのか、堀北さんは同じ質問を、声量を大きくして言った。しかし少年の顔はさらに不安げになり、私の後ろに隠れてしまった。
「とりあえず、スタッフの控室に連れて行きますか」
「そうですね。……ねぇ、僕」
堀北さんは、最後に言う。
「もう小学生なんだから、自分の名前ぐらい言えないと駄目よ」
「……さんが」
ここでようやく、少年の口が開いた。
「お母さんが、知らない人には、言っちゃ駄目って…」
その時、ようやく違和感に気がついた。この子は他の小学生が持っていたような、ナップサックや手提げカバンを持っていないのである。もしかして、と聞く前に、別の誰かが先に言った。
「おかあさんを、待ってたんだよね」
「え?」
佐和さんが、軍手をしたままそこに立っていた。少年の目線に合わせ、しゃがみ込む。
「戻って来るまで、大人しくここにいるように言われて、守ってたんだよね。偉いなぁ」
そう言って、軍手を外して頭を撫でた。そこで初めて、少年の顔に笑顔が宿った。
私と堀北さんは、大きな勘違いをしていたのだ。偶然小学生の団体と一緒にいただけで、この子は小学生ではなかったのである。そこへ赤ん坊を抱えた女性がやって来て、少年の元へと駆けつける。「お母さん!」と言って膝に抱き着き、それから赤ん坊にキスをした。赤ちゃんはまだ小さくて、おそらくおむつか授乳の為に、席を立ったのかもしれない。何を言われても黙り込み、じっと我慢していた少年の背中を見つめた。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
「いえ。ただ、指を怪我してしまったみたいで」
すると母親の女性は、心配そうに少年の手を握るけれど、「大丈夫、全然痛くないよ」と笑っている。もしかすると、お兄ちゃんだから泣かないよ、と気を張っていたのかもしれない。3人の親子を見送りつつ、佐和さんに尋ねた。
「どうして分かったの?」
「さっき外で作業をしていたら、声が聞こえて。堀北さんが、随分と大きな声で怒鳴ってたみたいだから」
「ちょっと、私は怒鳴ってなんて……」
彼女の言い分を無視して、佐和さんは続ける。
「小学生の列の中に、昼間の男の子がいたから、聞いてみたんだ。あの子はどのクラスかって。そしたら、あの子は違うよって言われたから」
「そうだったんだ」
「じゃ、俺はこれで」
そしてまた手伝いへと戻って行く。その姿を見つつ、堀北さんはポツリと言った。
「……かっこいいですね、彼」
佐和さんへの素直な褒め言葉に、まるで自分のことのように嬉しくなる。
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